賢くなるための心得
親子編



「親」ってなんでしょうね。
正しい事を教える人?(少なくとも子供よりは知っているものね。)
権力を持っている人?(少しはコントロールしないと、脱線するものね。)
尊敬される人?(子供に必要なもの与えてるんだもの尊敬もされたいわね。)
子供を誰よりも愛している人?(親は当たり前に子供を愛するものだと思ってるのよね)
子供への責任を持ち果たす人(苦労しながら衣食住は十分に与えてるわね)
さて、どう思われる?

 あなたにも子育ての理想はあったでしょう。子供にはそれぞれ持った生まれた性格が
ある事を知りながらも、自分の思うものとかけ離れていると、嫌悪感を感じたり不愉快だった
りもする事でしょう。
自分の思う方向とかけ離れてしまった現実の今、あなたに何が出来るのでしょうね。

 母親・父親・子供の特質をよく理解して、自分の家庭にアレンジして考えてみましょう。



〜〜I N D E X〜〜

母性に生きる
母子関係の難しさ
母子関係の倫理
母子関係に必要な事
母親の犠牲者
母性の機能




母性に生きる・・・ 母親である事の喜びを真に感じられるようになるのは、子供を育て上げた頃、つまり母親自体 が中年を迎えたことであろうと思われます。勿論、子供が小さい頃母と子が頬をすり合わせる 喜びも持つし、かわいいかわいいで毎日を過ごしてきたのです。しかしその頃は、ただ夢中で 「喜び」を知るどころか「生きる」事に専念しつづけていたと言っても過言ではないでしょう。 まして「母性に生きる」という言葉の意味などは通り過ごしてきて始めてわかるわけで、母性を持って 生きている最中はただ無我夢中です。
子供を持つ事自体がすぐに喜びにつながる事もあるでしょうが、調べによると大抵の場合はそう でないようです。
 ある年の意識調査では「子供は欲しいと思わないが生んでしまった」という母親が37.4%もあ りました。しかし、子供を育てるうちにどの人も子供がかわいくなっていったと述べています。 子供をもった喜びは、子供を育てる苦労を経ずには与えられない事を示しているようと私は考え ます。
 ほとんどの母親は我が子の一挙手一投足が気になり、熱でも出そうなら大変に心配します。 そこには生物的な一体感というものが感じられます。
しかし、母親の中には。我が子を産み落とした直後に。コインロッカーに入れて殺してしまう人 さえいるのです。その人が子供がかわいくないのは。子供を育てていく行為をしなかったからと は言えないでしょうか。
常に、育てるという私たちのあくなき努力と、その結果、すくすく育つ子供の姿に支えられて、 私たちの喜びは大きくなっていくのです。私たちの努力が子供との一体感を強め、また強まった 一体感が私たちの努力を支えてきたのです。

 子供を育てる事は、予想以上に大変な事です。それは、みんなが等しくやっている事でありな がら、簡単なことではありません。
子供を育てると言う事は、ひとつの会社を経営するにも匹敵する大事業かもしれません。
そしてまた、会社を経営する事と子供を育てる事は難しさの点ではそう変わらないのだとも言え るかもしれませんね。
 ある会社の部長は、部内の社員を実にうまく使っていました。ところで仕事に夢中になるあま り、家の事は万事妻に任せてありました。ところがこの部長の思ってもいない事がおこったので す。一粒種の息子が学校をずる休みはじめたのです。息子は、学校の命令で教育研究所の相談室 に通わなければなくなりました。ところが息子は「絶対にそんなところへ行くものか」と親 にくってかかります。その息子をどうやって研究所に連れて行っていいものか、部長は困り果て てしまいました。たとえ一つの部課を動かす事の出来た人でも、我が子を動かす事は出来なかっ たのです。
 このように子供を育てる事はやさしいようで、なかなか難しいものです。
だから、私たちが若い頃には、およそ「母性に生きる」というものがどんな意味を持つかを知る ことは出来ません。ただ夢中で、かわいいかわいいと思ったり、こんなにしんどい仕事はたまら ないと思ったりしながら子供を育てています。しかし、子供が大きくなり、私たちもほっと自分 を振り返る余裕が出来始めた頃、私達は頭ではなく全身を通して、子供を育ててきた意味を知る ことが出来るのではないでしょうか。
子供を育てるということは、実は「自分を育てる」ということと一緒であったのに私たちは気づ くのではないではないでしょうか。もし子供が居なかったら私たちの母性はどのようにして育っ ていったのでしょうか。しかし、子供を夢中で育ててきたおかげで、私たちは不思議なくらい母 性を生きることが出来る出来るのではないでしょうか。そして、母性を生きるということは、 実は「愛する事の可能性」を生きるということではないでしょうか。
子供を持つと、悲しい事も本当に多いです。しかしその悲しみを通して私たちの心に愛情が具体 的に育っていくのです。



母子関係の難しさ・・・

=放っておいては駄目=
 子供にいろんな症候が出たときに、それらは出始めたときになおしておくと大事に至らなくて すみますが、5年も6年も治療しないで放っておくと、にっちもさっちもいかなくなってしまう ものです。私たちは子供の問題に避けて通る事は許されません。

=よい母親とは=
 良い母親とはどういうことをすればよい母親なのでしょう。
躾を厳しくして勉強やピアノの練習を毎日一時間させることなのか、それとも放任主義でしたい 放題にさせ、いずれは親に対しひどい態度をするような子供となってしまうのか。多くの母親が 現実の生活の中で悩むところだと思います。ひとつ考えられるのは、極端に走らず、ちょうど 真ん中の道を行くのが一番良いのではないかという事です。ところが「丁度真ん中」などと言う とこれほど難しいものはありません。
みんなは躾の技術面ばかりを注目しているのではないでしょうか。技術面も確かに大切です。躾 が厳しいのも立派な事です。しかし、立派な事をしただけで子供が育つのなら、うんと技術面を 身につけた子供の専門職についておられる方のほうが、子育てがうまくなるはずです。親の技術 面から評価をしていると危険であるとも思われます。
 私は母親自身の人間としての行き方が、子供を育てるの際には大切なのではないかと思います。




母子関係の倫理・・・  母と子は別々のものと言うふうには割り切って考えられないところがあります。物理的は勿論別ですが、 心理的には母と子は決して離れて暮らす事が出来ません。母の心は常に子供が住んでいます。そして、 子供の心にいつも母が生きているのです。それは成長してからも変わるものではありません。  母親は常に子供の心の痛み悲しみ辛さなどの感覚を自分の事のように共感します。 妻は子供が感じる全ての感覚を同じく感じ受け止めてしまうので、 どうしても暢気に構えられなくなってしまうのです。以心伝心と言いましょうか、言葉にならない感情状態を感じる能力、 共感能力を母親は父親よりはるかに強く持っています。

 私が彼と再婚して間もない頃、やはり彼の強すぎる態度に私は何度も悩みました。娘の悲しみにひどく 同情しました。勿論、行き過ぎた態度は良くありません。しかし後に私は、私が娘に同情した態度は娘を更に 悲しませたように思えます。 私が彼の言動を中断し割り込ん込んだ事で、娘は父親から相応の叱りを受けていないのだと脳裏のどこかで意識する事でしょう。 母親の同情は娘を惨めにさせます。これは心理学的にも言われています。
私は娘にははっきりした態度でこれが父親の愛情だということを教えてあげなければなりませんでした。 まるで私は娘の見方のように過ごした事は決して娘にはいいはずはありません。 母親はここで「安らぎ」「安全な場所」な場所を提供しているかのようですがが、それは正しくありませんでした。
 これに気がついてから、私は娘への態度を変えました。そして、彼への態度も変えました。
娘には基本的に私が彼と同じ考えを持つ事示しました。娘は「父親の態度」よりも「自分のしたこと」へ矛先を向け 考えて欲しいと思いました。その補助的役目に父親の考えや心情を私からわかりやすく説明をし、父親の言い分を受け止めやすくしてあげます。
 彼が娘を叱る時、私は決して割り込まない事にもしました。これは彼を父親として尊重する態度を私も肯定して見せるものです。 また、彼が始めた事は彼が締めくくりもキチンとするべきで、私は妻として彼を尊重しても見せています。 彼への言動に意見があれば、その場は我慢して、後で子供たちが居ないところで彼に話すことにしています。

 母子関係は父子関係とは違う関係をもちますが、守るばかりでは十分でない事をしっかりわからなければなりません。 子供たちは社会の中でたくましく生きるためためには多少の強い刺激や言動くらいは受けながら育つことは必要 だとも言える。




母子関係に必要な事・・・  まず第一に、子供に対する母親の欲から出た願望は、捨て去らなければならないということで す。私は思います。もし娘に高い目標を強制したなら娘は決して勉強しようとしないでしょう。 娘は小さいうちは親に対する存在が大きく言う事もまだ聞くでしょうが、それは後しばらくの事 だけに過ぎないでしょう。
母親の欲望に対抗する事だけに彼女の関心が注がれてしまうからです。思春期は反抗期の時期で す。母親の欲望が強ければ丁度反抗する材料を目の前に突き出しているようなものです。子供は 、丁度良い反抗の対象として母親の欲望に対抗してくるでしょう。欲望は何としても捨てなけれ ばなりません。

 第二に、欲望を捨て去った後で、真に子供自身の能力と子供の願望をじっくり考えてやる事です。 子供は、本当はどの学校に入りたいと願っているのか、そして子供の能力はそれを果たすに足りる ものかどうかを冷静に考えなければならないと思います。

 そして第三に、母親としての何ができるか考えるのことです。中学生の子供の勉強を見てやる能 力を私たちに母親はほとんど持っていません。それは仕方ない事です。しかし、私たち母親は、子 供の情緒の状態をうまくリードする事ができる貴重な存在です。そしてその仕事は、実は子供の努 力を十分に発揮させるために、もっとも大切なことです。
子供たちは、友達や先生との関係で人知れず悩み、それによって勉強する意欲がわいてこないとい う事が多いです。そしてこの人間関係の解決こそ、長年人生経験を積んできた母親のいちばん上手な 仕事ではないでしょうか。しんどい思いをしてガミガミ言いながら勉強を見てやるより、子供の話に じっくり聞き入る方が子供の能力開発になるのです。
私たちは、子供のために正しく自分の欲望を殺し、子供をよく生かしてやりたいものです。



母親の犠牲者・・・

=反抗期=  反抗期のなかった子、言わばやりやすい子供というのは親の影響を非常に受けやすいと言えます。 親が「こうしなさい」と言うとそれに反抗することなく「はい」と答えてしまう。親はそれを従順な いい子だからと考えるから、自分の考えを知らず知らずのうちに押し付けている事になります。
子供が反抗すると、親も自分の考えを押し付けてばかりもいられないので、子を育てる事について あれやこれやと考える事も多くなるのですが、従順な子供の場合は親の側の反省が弱いわけです。
例えばある男の子の例ですが、その子の幼少時代はとてもやりやすい子でした。しかし、その子の場合 は小さい時から贅沢三昧に育ってしまったのです。そのため次から次へと欲しいものがあり、それを 我慢する事が出来ません。小さいうちはたいした値段で無いので母親は何でも買ってあげました。 しかし小学校高学年の頃には大変な金額となり、彼の部屋には高額な品物で埋まっていきました。
 このように一方では母親の支配下にあって従順であり、一方では自分の欲望を抑制がきかないとい った性格の子供は学校と家庭とではまったく異なった態度を取るものです。
学校でも従順で大人しい子ですが、自分の主張を曲げない頑固さがあります。学校での嫌な事を母親に 激しい批判と攻撃で言いつづけました。母親は日頃に見ない息子の態度に驚き、近頃の教師は・・と共 鳴します。
息子にとってはわがままに居れる家と規律ある学校生活のギャップによる心理的疲労が大きく、小さな 事でも過敏に反応します。そして登校拒否となりました。彼はむしろそれを望んでいたのかもしれません。 彼の中で無意識のうちに家へ家へと動いていくのです。

=父親像=  父親の役割は、はじめに心理的に一体である母子を見守る事にありますが、母子一体性が十分の育った後 に、母子を心理的に分離させ、子供に外界との関係を学ばせる点にあります。そのような仕事はを父親は意 識しているわけではありません。しかし、毎日の生活を通じて、父親は一人で生きていく事への大変さを子 供に肌を通して知らせているのです。それは父親の言動の端々のおのづからにじみ出てくるものです。 母親が愚痴をこぼしても父親はじっと黙って聞いてるとか、母親が部屋を汚くしておくとまゆをにしわを寄せて 怒り出すとか、また黙々と仕事をしているとか、そういう行動を通じて、子供は社会に秩序をというものを肌で 感じとってゆくのです。
 ところで、父親があまりにも弱いと、どうなのでしょうか。
例えばこの家庭の例の続きですが、父親が帰宅して「お風呂に入りたい」と言います。すると母親は「入りたいなら 自分で沸かせばいいでしょう。」と言うのです。
 このような場合は大抵は夫なら腹を立て怒鳴るのが当然です。すると、普通の妻なら今度は怒られないようにし ようとします。偉そうな事言って悪かったなぁとも思います。ところがこの例の家庭の夫は怒りもしないのです。 言われるままにお風呂を沸かしてはいるだけです。このような態度が続いているうちに、今度は妻が忙しくしてい ると「そんなにしなくていいんじゃないか?」と言ってしまう。妙な夫婦関係が出来上がっています。
 一見優しそうな夫のように思われます。しかし、とく考えてみるとこの夫は家庭というものを作っていくために 通らなければならない妻との対決えおすべて無責任に回避してしているのだとわかります。妻の勝手な言い分を いさめもせず、挙句の果ては家庭を無秩序な状態に追い込んだのです。彼は妻に対し何の影響力も与える事が出来ません。 このような無責任な態度を子供は見ているのです。子供の心には社会の秩序が少しも育ちません。母親と一緒になって 父親を心から軽蔑することでしょう。
 子供は両親を信頼する事を通じて、両親以外の人々を信頼する目を育てていきます。それは子供が将来一生涯にわたって 関わる対人関係のあり方を決定します。
 この男の子は学校へいけば、、また自分を苦しめる人間たちとして先生や友達を見てしまいます。 彼の中で勝手に色づけされ現実を離れてしまっているのです。
 ここに書いた妻のあり方は少し普通の範囲を越えているようにも思えますが、このような要素を持っているのを感じる母親は 少なくないでしょう。



母性の機能・・・  母性の機能は全てを良きにつけ悪しきにつけ包み込んでしまう事です。 母性原理は善・悪を度外視し、全てを包み込んでしまいます。そして包み込んだ以上、 それは母の場に中に入れられ、その場の中では絶対的な平等性があるわけです。子供 の個性や能力には関係なく、全て「我が子である限り」かわいいのです。ところが、 それは場の中に入れた場合であって、場の外にある者にたいしては、はっきりとした差別を 持っていて冷たいです。これが一番明瞭にあらわされるのが、息子の嫁だったりします。 息子は自分の場に入っていますが嫁はおそらく最後まで自分の中には入れられないのです。 また、グループを作りたがる傾向も同じような感じです。そして、何か気に入らない人が いると、仲間外れにし、その後回復する事は難しく、敵対心燃えることも少なくありません。
 もっとも、女性の心に父性が定着すれば、このような現象は避けられます。。

 女性の何の役にもったないおしゃべり、急激な感情の変化などは男性にとって不可解 なことばかりでしょう。男性ばかりではありません。少し意識の高い女性なら、女性の中に あるそういった自然現象には、鼻持ちならないくらい嫌なものです。しかし、女性というものを 知れば知るほど、女性の中にある自然現象を見つめる事は興味深い事になります。なぜなら それらの中に人を慈しみ育てる要素が見いだせるからです。



父性の機能・・・



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足跡残してね〜

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