ヴォストークが村を出たのは、正午を数時間過ぎてからだった。まだ夕暮れには遠いが、大幅に遅れてしまったことには変わりない。
ただ、ユリシーズはそれもクリムゾン・フレアの加入という勢力増強の代償としては安いと考えていた。
彼らのおかげで、これまで見合わせていた計画を決行できる。
それは王国に対してかなりの打撃を与えることができるものだ。状況さえ整えばその時点で兵を上げることも可能だが、さすがにそこまでうまくいくとは思っていない。
時はまだ満ちたわけではない。目的に向かって跳躍できたとはいえ、あくまで様子見の段階はクリアできていないのだ。
「・・・ねえ」
今まで押し黙っていたケイコが突然口を開いたので、ナディアは不意をつかれたように彼女の方に顔を向けた。まさか、彼女が自分から声をかけてくるとは思ってもみなかったのだ。
「何かしら?」
可能な限り優しく言ってみせる。
ケイコはそれを軽く鼻で笑ってから、いつもの無愛想な口ぶりを披露した。
「水、ちょうだい」
「ええ、いいわよ」
そう言ってナディアは樽から自分の鉄製カップに水を注ぎ、彼女に手渡した。
だが、ケイコは受け取らなかった。
それどころか、嫌がらせでもされたかのような表情をする。
「どうしたの?」
「他人が使ったのなんて嫌よ。誰も使ってないコップないの?」
「そう言われても・・・」
いい加減にしなさい、という言葉をナディアは必死で噛み殺した。
事実上いつ死んでもおかしくない生活をしているから、いちいちそんなことなど気にしてはいられない。
この少女は全くヴォストークを、そして自分がおかれている状況を理解していないようだった。好きで一緒にいるわけではないと言われれば確かにそうだが、少なくともなってしまった以上は理解するよう努めるべきだろう。
彼女は本来ここにいない人間である。だから、そんな者の分のコップなどない。予備を用意するくらいなら、武器に資金を回すことを優先させるのは当然だ。
「やれやれ、わがままな姫様じゃな」
ドハルは楽しそうに言いながら、御者の隣から顔を出して外を見回した。
その先頭の馬車の周囲には、ユリシーズ、ラルゴらが警備として注意を張り巡らせている。
「誰か、コップを使っとらん者はおるか?」
「何だ、そりゃ。村出てから何時間経ってっと思ってんだ」
すかさずラルゴが横槍を入れてきた。二日酔いの彼には少し腹立たしい言葉だったかも知れない。
水を飲むなとでも言うのか。
そんな風を思ったのかも知れない。
「どうかしたのか?」
ユリシーズが怪訝そうに尋ねてくる。相変わらず背中の大剣は重そうだが、それを全く感じさせないのが彼のすごいところだ。
「ケイコが誰も使っとらんカップじゃないと嫌だと言っての」
「ワガママな野郎だぜ」
不機嫌なラルゴは腹いせにいちいち口を挟むが、それを聞いていたケイコも彼に劣らず好戦的な性格をしている。そう言われて黙っているはずがなかった。
「あたしは野郎じゃないわよ、筋肉バカ」
「何だと・・・!」
「止さないか、二人とも」
ユリシーズは馬車を挟んで反対側にいるラルゴを軽く睨んでから、ドハルに視線を移動させた。
ラルゴも痛い頭を更に痛めるのを避けた。舌打ちをして周囲に目を光らせる。
「私のコップを洗って使うといい」
「そんなもったいないことできんじゃろ?」
「私がその分水を飲まなければいいだろう」
「ほぉ・・・それなら、構わんが」
わかってはいることだが、毎度ユリシーズの人の好さには感心させられる。
ドハルは、いつもこちらの予想もつかないようなことを口にするこの青年をとても気に入っていた。老人にささやかな楽しみを供給してくれる貴重な若者だ。
しかし、ナディアはそれほど客観的にはなれない。
「良くないわよ。ユリシーズだって人間なのよ?どうして、もっと自分のことを考えないの」
「それは・・・」
「性分じゃからの」
ドハルがユリシーズの台詞を奪った。
彼がよく気にする言葉である。多分、彼自身どうして自分がここまで他人に気を遣うのはわからないのだろう。
ドハルにも稀にそんな感情が浮かぶことがあるが、ユリシーズは異常だ。そういう人間に限って、自覚というものがないのである。
「そんなこと言ったって・・・」
「私なら大丈夫だ」
ユリシーズの言葉に根拠はない。
ただその代わりに絶対的な説得力があった。彼の非人間的な能力を知っている者なら、万人に通ずるものだ。
ナディアもその一人だが、納得はできない。
「ねえ、いつまで待たせるのよ」
若いくせに覇気がない声に、ナディアは思わず口を開きかけた。
それを制止するようにドハルが先を越す。
「すまんのぉ。ほれ、コレがユリシーズのカップじゃ」
「ふん」
奪うようにそれを受け取ると、ケイコは馬車の後部に移動し、錫でカップに水をかけ始めた。
それも、何度も。
水が地面にこぼれる音が妙に大きく聞こえる。
「もうそれくらいでいいでしょ?」
「・・・わかったわよ」
ケイコもナディアの口調の変化を察し、それ以上の横暴はしなかった。そのまま強行していれば、いよいよ取っ組み合いの喧嘩になりかねない。意識しているわけではないがケイコは自然とその境界を見極めていた。
そして、充分無駄使いをした後で、水を口にする。全く同時に、彼女は苦虫を噛み潰したような表情をした。
文字通りの感想を持ったのだ。
「何よ、これ。泥水?」
錫やカップでよくわからなかったが、注意してみるとその水は僅かに濁っていた。
「あなたねぇ・・・!」
身を乗り出しかけたナディアを、ドハルが手で制する。そろそろ老人の威厳というものも限界だ。
「何日か前に降った雨のせいで井戸が汚れたらしいんじゃ。勘弁しておくれ」
「・・・仕方ないわねぇ」
ケイコは本当に嫌そうな顔で残りの水を飲み干した。
カップを、突き出すようにしてナディアに返してくれる。彼女は何とか堪え、それを専用の木箱にしまった。
「おお、そうじゃ」
ふとドハルが白々しく声をあげた。
ケイコに白い目で見られる中、溜め息を漏らすナディアに言ってやる。
「ナディア、ユリシーズと話は済んだかの?」
「何のこと?」
「相談したいことがあったんじゃろう?」
老人の意図はナディアに通じた。
少しわざとらしくなってしまったが、ナディアも思い出したように言って馬車から降りた。
馬が歩いている状態とは言え、簡単にそれをこなすには結構な慣れが必要である。長い放浪生活がそれを与えてくれた。
ナディアは小走りでユリシーズの元へ行った。
「どうした?」
「・・・ケイコのことだけど」
自然と声が小さくなる。
彼女の表情を見て察してくれたようで、銀髪の青年も生真面目な表情を作る。
「それはわかっている。すまないとは思うが・・・」
「限度を越えているわ」
本当に参ったと目が言っていた。
ユリシーズも肩身が狭くなる。
この争いの時世では、酷なようだが無関係の人間は見捨てるのが常識である。それを助けただけでも充分だというのに、ユリシーズは更に面倒をみると言うのだ。
他の者にはわからない感覚である。
余計な食い扶持を増やして、こちらに何の得があるというのか。おまけにケイコは問題を起こすようなことばかりを言う。
しかし、ユリシーズにすれば、それが何だと言うところだ。
「・・・では、この場で馬車から降ろして、山賊のえじきにしろと言うのか」
「そうじゃないけれど・・・」
ナディアは口を閉ざしてしまう。
彼女の持っている感情を有り体に言えば、今ユリシーズが言った通りのものになる。
だが、そうではないのだ。結局は同じであっても、もう少し違う表現ができる。
できると思うのだが、ナディアにはそれがわからなかった。
「・・・ナディア」
ユリシーズは俯いてしまった彼女の肩に手を置いた。傷つき、荒れた手だった
「君も私も人間だ。時には嫌になることもある。だが、そうだと言ってここでケイコを見捨てれば、私たちは自身の存在を否定せねばならなくなる。奴隷という立場におかれ、理由もなく虐げられている人々を助け、そして真の自由主義を手にするのが私たちの目的のはずだ」
奴隷という階級の人々は、得てして弱い立場にある。現在の王国は、強引な理由づけをして彼らを当然のように虐げているのだ。
「けど・・・!」
「ケイコには見捨てられるだけの理由がある。だから、独りでは生きられないとわかっていて、見捨てると言うのか?」
ナディアはまたしても押し黙った。元々、彼女は口論でもユリシーズに勝てるとは思っていない。
剣の腕も超一流だが、彼は口も達者だった。
もっと良い言い方をすれば、持ち合わせている揺らぐことのない信念を相手に理解させるのが上手いのだ。おそらく、ユリシーズと同じ理想を見ている者もこの世界には数多くいるだろうが、口下手なために信頼を得られず、行動を起こすことができずにいる者も多いだろう。
信念を持つことは大切なことだが、やはりそれを皆にわかってもらわねばならない時も、現実にはあるのである。
「私は・・・人を助けたいと願うのに理由は必要ないと思っている」
決定的な一言だった。
つまり、ユリシーズがケイコを助けたいと思う感情は、ナディアが、強いてはヴォストークが王国に虐げられている人々を、そして自分たち自身を救いたいという願う防衛本能と同じだというのだ。
論理的な理由など必要ないのである。
「・・・あなたらしいわね」
ナディアはふっと苦笑をした。無論、ケイコのことを受け入れたわけではない。改めてユリシーズの器を実感し、それに比べて自分の小ささを思い知らされたのだ。
「そうね。あなたの言う通りよ。あの娘もあの娘なりに、自分の身を守るのに必死なのかも知れないわ」
「・・・ありがとう。君には、迷惑ばかりかけてしまって・・・」
「気にしないで。お礼を言うのは私の方なのだから」
「君は優しいな」
「あなたには敵わなくてよ」
そう言って青年に微笑んで、ナディアは彼の元を離れていった。
その顔には自嘲じみた、悔しげな表情が浮かんでいた。
「卑怯ね。私って・・・」
小さな思いを胸の奥に閉じ込めた。
[★高収入が可能!WEBデザインのプロになってみない?!
自宅で仕事がしたい人必見!
]
[ CGIレンタルサービス | 100MBの無料HPスペース | 検索エンジン登録代行サービス ]
[ 初心者でも安心なレンタルサーバー。50MBで250円から。CGI・SSI・PHPが使えます。
]
| FC2 | キャッシング 花 |
出会い 無料アクセス解析 |
|