英雄戦記
〜千年の時を越えて〜

第一章
『Dive into the history』

第三幕
「襲撃」




 皆が起きた後、ユリシーズはすぐに彼らを指揮して出発の準備に取り掛かった。
 予定では南中の頃にここを発たねばならないが、こんなところでも彼の指揮能力の高さはその威力を発揮した。
 個々人の得意とする分野を的確に見極め、それに相応しい仕事を任せる。
 突発的に生じた問題も、まるでその答えを知っていたかのような早さで解決してしまう。
 彼らはもう慣れてしまっていることだが、第三者がその光景を見ていれば感嘆の溜め息を漏らしたに違いない。
 ただ、いくらユリシーズが秀でていると言ってもそれは周囲の者たちが彼に従わなければ意味がない。
 この完璧に規律の取れた素早い集団行動の基盤には、何よりユリシーズ=アルファイスという男へ信頼があるのだ。
「ナディア」
 一通りの作業が終わり、ドハルに監督権を交代したユリシーズは、同じく仕事を終えたナディアの元へ歩んだ。
 ナディアは、ちょうど荷物の積み込みを終え馬車に寄りかかっていたが、すぐに背中を離して自分より頭一つ大きい男の顔を見上げた。
 彼女も女性の中ではかなり長身なのだが、目線はユリシーズの胸元である。
 身長も然ることながら、これほどたくましく見える男は世界中を探してもそうはいないだろう。
 傷の手当てなどもあってナディアは何度も彼の身体に触れたことがあるが、その感触は馬の太股によく似ていた。
 筋肉が鎧と化していると言っても過言ではない。よく磨き込まれた剣でも彼の身体を切断することが可能なのか怪しく思えるほどだ。
「ケイコの様子は?」
 ユリシーズの問いに、ナディアは小さな溜め息を漏らした。
 しかし答えないわけにもいかずに、やがて口を開く。
「ダメだったわ」
「そんなにひどいのか?」
 銀髪の男はひどく心配そうな顔を覗かせる。
 生真面目すぎるのだ。
 ナディアはそう思う。
「そうじゃなくて・・・私たちに敵意を抱いているみたいなの」
「・・・そうか。無理もないな」
 悪い意味で、ユリシーズにはいつも人の立場になって物を考えてしまう癖があった。困っている人を見たら放っておけない、という典型なのだ。
 人間として世間的にはそれで良い評価を得られるかも知れないが、今の彼らには特別求められるものではないし、時には邪魔になることもある。
 急がなければならないのに、余計なことに首を突っ込んで自らを追い込む。
 そんなことはしょっちゅうだった。
 ユリシーズだからそれでもあらゆる修羅場を潜り抜けてしまうだろうが、一般の人間が彼と同じ行動を取っていたら命がいくつあっても足りないだろう。
 他人を助けるにも資格がいる。
 厳しいがそれが現実だった。
 自分の身を完全に守ることができ、更に余裕があるような者にしか他人に干渉する権利はないのである。
 今の時代に互いに慰め合うことは全く意味を持たない。
 遅れてしまった、立ち止まってしまった者を引っ張って進むのは良いが、一緒になってその場に止まってしまうのでは通用しないのだ。
「まだ部屋にいるのか?」
「いるけど・・・どうするつもり?」
 ユリシーズの次の言葉を知っていて尋ねる。
「私たちと一緒に来るよう説得する」
「一緒にって・・・彼女がスパイじゃないっていう保障はないのよ。それに、みんなの許可も・・・」
「私が責任を取る」
「でも・・・」
「力になりたいのだ」

 ユリシーズの真摯な眼差しは、いくら見慣れていても逆らうことができないものだった。
 卑怯だと思いながらも、ナディアは形だけの苦笑をした。
 一種の愛想笑いである。
「わかったわ」
「ありがとう」
 安心したような表情を浮かべ、ユリシーズは去っていった。
 ナディアはそれを見届けてから、砂のような質感の長い金髪をかきあげた。
 思わず表情が暗くなる。
 自分勝手な男だ。
 そう思う感覚はユリシーズという人間を知る者にしかわからない。
 彼は一人で背負い込みすぎるのだ。
 心配する方の立場にいるナディアはいつも気が気ではない。
 ユリシーズは皆の希望の星であり、絶大なる信頼を一身に受ける指導者である。
 ナディアには、彼がその自覚を持っていないように思えてならない。
 確かにこれまではうまく乗り越えてこられたが、今後もそうだとは限らないのだ。
「心配事かの?」
 本当にこの老人は嫌な時に現れる。
 そう思いながらナディアは声のした方を見て、愉快そうに笑うドハルを視界に入れた。
「私の心配事がなくなることはないわ」
「そりゃぁそうじゃろうが・・・」
「余計なことは言わないで」
 言いかけたドハルをナディアは素早く制止した。
 これ以上不毛な会話をしたくなかったのだ。
 然るべき話なら別だが、この老人の顔を見れば何を言わんとしているかはすぐにわかる。
「つまらんのぅ」
 予想通りだ。
「もう少し真剣に今の状況を考えて」
「ユリシーズが小娘に靡くのに、何か問題でもあるんかい?」
「そうじゃなくて・・・!」
「黒髪の外国人とは、ユリシーズも意外な趣味じゃのう」
 老人は相も変わらず嫌な笑い声を漏らす。
 ナディアはもうドハルに付き合うのは止めた。
 彼と話しても茶化されるばかりで、全くの無駄である。
 だが、彼女が黙るとドハルまで口を完全に閉じてしまった。
 とことん嫌な性格をしている。
 その静寂に耐えられそうになかったので、軽い挨拶をしてナディアはその場を去った。
 自分のノルマは終えたが、まだ作業をしている者の手伝いくらいはできる。
 とにかく何かをしていたかった。
 彼女もユリシーズと一緒で、他人に全てを任せるということができない性質なのだ。
「ますます前途多難じゃな」
 立ち去るナディアの背中を眺めながら、老人は愉快そうに笑うのだった。





 その頃、ユリシーズたちが居座っているという建物に向かう集団に動きがあった。
 指揮者の号令で皆が一斉に馬に鞭を入れ、急激に移動スピードを上げる。
 一人を除いて全員が同じ服、鎧に身を包み、馬にまで兜を装備させてあった。
 デリッツ王国軍である。
「急げ。先行部隊の戦力では心許ない」
 唯一他の兵士たちと異なった装備をしている青年が声を大にして命令した。
 デリッツ王国軍第二級司令官、俗称「下将軍」と言うのがこの男の肩書きだ。
 上官に上将軍、つまり第一級司令官と軍師しか持たない、軍においてはまさに最高に近い権力と実力を持つ大物だ。
 しかし、デリッツ王国の現国王ゼイアス=アスターナ十六世の完全実力合理主義がなければ有り得ない大出世を遂げた、年配の将軍から言わせれば青二才ではある。
 そんな、三十歳に届かない年齢のマクシミリアン=レドナップ下将軍は、ユリシーズ=アルファイスが率いる革命団「ヴォストーク」の討伐隊を編成、指揮していた。
 ヴォストークはその脆弱な戦力にも関わらず、これまで各地方に派遣されているデリッツ王国軍の部隊を破竹の勢いで連破し続けている、現時点で最強の革命組織だった。
 いや、彼らを統率するユリシーズが危険なだけで、その手足となる戦士たちは大して問題ではない。
 人間離れした闘神のごとき強さの他に、更に天才戦略家の名に相応しい頭脳を持ち合わせているヴォストークの指導者は、デリッツ王国内のほぼ全ての人間によく知られている。
 ただ、マクシミリアンはまたそれとは別だ。
 彼は特別にユリシーズ=アルファイスという男のことを熟知している。
 そして、あの男が栄華を誇る王国に致命傷を与えかねないこともわかっていた。
 ゆえに下将軍でありながら、幹部には嫌われる地味なこの任務に従事しているのだ。
 本来であれば、近隣諸国との戦に出て功績を上げるのが出世へのスタンダードなのだが、マクシミリアンにはもうこれ以上の高位の座につくという考えは残っていなかった。
 どの道、自分の実力ではいくら頑張っても上将軍になるにはあと数年はかかる。
 彼は、自身より若く、そして才能に溢れる下将軍を一人知っているのだ。
 その若者が、軍内部で誰の異論も受け付けることなく、次期上将軍候補であることは疑いようのない事実である。
 浅ましく私服を肥やすのはこれまでで十分だ。
 すでに財産は掃いて捨てるほど稼いだ。
 この緊張した戦争時代を乗り越えて軍を退役すれば、少し早いが充実した隠居生活が待っていることだろう。
 しかしながら、そんな考えもこの下将軍にはなかった。
 ユリシーズ=アルファイスに勝つ。
 ただそれだけだった。
「ユリシーズ・・・!」
 自然と手綱を握りしめる手に力が入る。
 マクシミリアンはユリシーズを追い続けてもう一年になる。
 それだけの時間を費やしてでも、彼はヴォストークの今の指導者を仕留めたかった。
「マクシミリアン様」
 すぐ隣にいる兵士に声をかけられて、下将軍はそちらに振り返った。
 昔からマクシミリアンの部隊に所属するバルトロメイ=ベルガーと言うその男は、信頼のおける下将軍補佐官である。
 欲を出せば、自ら下将軍の地位につくことでも夢ではない実力者だが。
「くれぐれも任務をお忘れなく・・・」
 バルトロメイは静かに忠告する。
 彼はユリシーズとマクシミリアンの因縁をよく知っていた。
「わかっている」

 下将軍は強く言い放った。
 補佐官が自分のことを心配して言ってくれたことだとは思うが、今のマクシミリアンにはそれは余計な世話でしかなかった。
 その思いを感覚的に悟ったバルトロメイはもう何も言わなかった。
 ヴォストークが滞在している家屋まで、ユリシーズ=アルファイスがいる場所まであと僅かだった。





 ユリシーズはケイコがいる部屋のドアをそっとノックした。
「ユリシーズだ。入るぞ」
 そう断ってからドアを開ける。
 許可を得ようとは思わなかったは、断られる可能性が高かったからである。
 ケイコはすぐに彼から顔を背けた。
 それに表情を曇らせながら、ユリシーズは静かに彼女のベッドに近づいてゆく。
 静まり返った部屋に重たい靴音が響いた。
「大丈夫か、ケイコ?」
「・・・何の用?」
 ひどく冷たい口調だった。
 少しだけユリシーズはナディアの気持ちがわかったような気がした。
 これは完全にこちら側を拒絶している反応だ。
「私は君を守る」
 ただ一言、青年はそう言った。
 ひどく真摯な眼差しを、ひたすら窓の向こうを見続ける少女から離さなかった。
 彼女がそれに気付いてくれているかどうかは、問題ではない。
「だから?」
「私たちについてきて欲しい。ここは危険だ」
 自分でもおかしなことを言っているのは承知していたが、一から現状を説明したり、呑気に人間関係を構築している暇などない。
「嫌よ。初めて会った連中に一人でついていくなんて・・・」
「気持ちはわかる。だが、私を信じてくれ」
 無理なことだとわかっていて、ユリシーズは懇願する。
 誰も、見ず知らずの人間をすぐに信用することはしないだろう。
 どうしたらいいだろうか。
 これまでの傾向から言っても、遅くとも明日にはここはデリッツ王国軍に押さえられてしまうことは間違いない。下手をすれば今日にも来る恐れがある。
 そのためにも、ケイコを早く連れ出さねばならなかった。
「・・・あなたたち、ヴォストークでしょう?」
「・・・そうだ」
「あなたたちについていったら、あたしまで追われる身になるのね・・・」
 ユリシーズらヴォストークの思いなど露も知らないくせに、ケイコは目の前の男を困らせる。
「私が守ってみせる」
「勝手なこと言わないで!」
 怒号と共に、初めてケイコはユリシーズの顔を見た。
 憎悪はないが、溢れんばかりの憤りが表情に浮かんでいる。
「できもしないくせに。人間なんてみんな口だけよ。あんたみたいなヤツが一番信用できないわ」
 なんでそんな風に思うのか、ケイコは自分でわからなかった。
 記憶が蘇ったわけではない。
 ただ、脳が無意識の内に一切の他人を受け付けなかった。
「・・・どうすれば、信じてもらえるのだ?」
 愚直なユリシーズは真剣な面持ちで問う。
「あたしのために死んでくれたら、信じてもいいわ」
 ケイコは表情を変えずに言う。
 本気のようだ。
 随分と意地の悪い言葉だが、それを聞いてユリシーズはどこかで安心していた。
 これだけのことが言える少女であれば、ある程度過酷な状況でも耐えられると思ったのだ。
 しかし、それと彼女の言葉を受け入れるのとでは、話が違う。
「すまないが、それはできない」
「・・・ふん」
 再びケイコはユリシーズから目を離した。
 彼女の方も、なかなかこの男の人物像が掴めずに苛立っているようだ。
「・・・信じて欲しい」
 阿呆のようにユリシーズは同じ台詞を繰り返す。
「そうやって、あたしが頷くまでそこにいるつもり?」
「ああ」
「勝手に連れていけば?抵抗はするけど」
「それもできない」
 ケイコは溜め息を漏らした。
 ここまで頑固な人間も珍しい。
 やろうと思えば、強行策などいくらでもありそうなものである。
「・・・」
 しばしの間、沈黙が続いた。
 時折、僅かに開いている窓から風に吹き込んできて、白いカーテンを揺らした。  変わらずに大地を照らし続けているはずの陽は、しばしば雲に隠れて二人の間を暗くする。
 ユリシーズの生真面目で純粋な視線を耐え続けることは、ケイコには少々辛かった。
「・・・わかったわよ」
 妥協する他なかった。
 ずっとそうしていると、さすがに自分がわがままな子供になってしまいそうだと感じたのだ。
「ありがとう」
 ユリシーズは笑顔で応えてくれた。
 それがケイコには心苦しかった。





 二人はすぐに部屋を出た。
 すでに皆を待たせているから、ユリシーズは半ばケイコを引っ張るように足早に通路を歩んでゆく。
「ちょっと、痛いわよ!」
「あ、ああ、すまない」
 強かに手を叩かれ、更に身体を突き飛ばされたユリシーズはケイコから一歩離れた。
 彼女はユリシーズに掴まれていた手を軽く振りながら、不平を鳴らす。
「レディに対して随分乱暴じゃない」
「すまない。だが、皆を待たせてあるから、早く行かなければ・・・っ!?」
 言いかけたユリシーズは、突然の激痛に襲われて声を失った。
 反射的に痛む箇所をかばうように押さえるが、それがどこなのか自分でもわからない。
 それを知ることができたのは、自分の右腕に刺さった矢が視界に入ってからだ。
「ちょ、何よ、それ・・・!」
「伏せろ!」
 医務室を出てすぐのT字路で、ユリシーズはケイコに体当たりをするように押し倒した。
 これで、とりあえずは相手の視界から消えたはずである。
「大丈夫か?」
 気遣いながらも右腕から抜いた矢をその場に捨て、重量を無視したように背中の巨大な剣を手に持った。
 無論、傷ついていない左腕である。
 彼の利き腕は元々左であるし、右腕の方も矢で射られたとは言えまだ使い物にならないわけではない。
 常人には有り得ないことではある。
 矢というものは、華奢な者の身体なら貫通するくらいの威力があるのだ。
「ど、どうなってんのよ・・・?」
 ユリシーズの右腕の出血を見てケイコはパニックに陥った。
 彼はここが危険だと言ったが、短い間隔しかおかず、その上こうまで具体的にそれを証明されると頭が追いついていかない。
「落ち着け。私が守る」
「そんなこと言われたって・・・」
 冷静になれというのが無理な話だ。
 そんなケイコを片手で引っ張り、彼女が転ばない程度の速さでユリシーズは駆け出した。
 生憎、彼の大剣はこういった狭い通路では扱いにくい。
 かと言って外に出れば周囲を囲まれて不利になりそうだが、決闘ではなく多対一の戦いに慣れているユリシーズにとっては、むしろよく視界の開けた広い空間の方が戦いやすい。
「こっちだ」
 ユリシーズは表と裏にある出入り口とは別の方向に進んだ。
 自分の記憶を辿り、一番大きな窓がある部屋に向かう。
 正面玄関は押さえておくのが敵を建物の中に追い詰めた時の常識だから、すでに押さえられていると考えるのが妥当だった。
 運良く誰とも遭遇することなく目的の部屋に辿り着くなり、ユリシーズは問答無用と言うようにドアを蹴り破った。
 申し訳ないが、もう使うことがない家屋に手加減などしていられない。
 壊れたドアの向こうから視界に飛び込んできたのは、思った通り人ひとりなら容易に外に出られる大きさの窓だった。
「ちょっと・・・」
 言いかけたケイコを無視し、ユリシーズは窓を開け放った。
 剣で叩き割っても良かったが、それでは音も出るし、何よりケイコがケガをしてしまう可能性がある。
「さあ、外へ」
「どうして、あたしがこんな目に遭わないといけないのよ・・・!」
 行き場のない怒りをユリシーズにぶつけ、勝手に着せられていた市民階級の洋服を気にしながら、ケイコは外に出た。
 少しサイズが大きい上に、かなり薄手の物である。
 慣れない動作のため少しぎこちない動作で、窓枠から僅かな高さを飛び降りるケイコに続き、慣れきったユリシーズは流れるように外に飛び出した。
 よろけることなく着地をし、周囲に目を走らせる。
 その瞬間には、誰も見当たらなかった。
 ヴォストークのメンバーはおそらくもうここにはいないだろうから、人影は全て敵だと思っていい。
 ユリシーズは、自分がいない時は何があっても予定通りに行動するように皆に言ってある。
 さすがに襲われた時も応戦するなとは言わないが、自分の性格上余計なことに首を突っ込むことが多いから、そういう時は置いていってくれて構わないということだ。
 自分一人でもあらゆる状況を打開できる自信に裏づけされた指示である。
「馬が要るな・・・」
 馬車に追いつくため、そしてここから一刻も早く逃げ出すためにも必要な足だ。
 これは敵から奪うしかない。
 ユリシーズはケイコを後ろにかばいながら壁に沿って足を進めた。
 何度も後方を振り返り、玄関に面した壁の方に歩む。
 角に辿り着くと、そこから一瞬だけ顔を出して状況を確認した。
 敵の方は騎兵が五人いて、見張りをしているようだった。
 馬車も見える。その大きさから言って、自分たちを探しているのは十人前後の歩兵だろう。
 そうすると見つかるのは時間の問題だ。
 これくらいの建物、すぐに調べ終わるに決まっている。
「ねえってば・・・!」
 小声で言いながら、ケイコが防護服の裾を引っ張る。
「どうすんのよ?」
「見ていればわかる。君は私の指示があるまでここにいてくれ」
「嫌よ!もし誰か来たら・・・」
 彼女が言い終える前に、ユリシーズは角から音もなく飛び出した。
「貴様っ!」
 角から飛び出してきたユリシーズを見つけると、騎兵の一人が叫びながらランスを構えた。 全員が慌ててそれに習う。
 しかし、ユリシーズは速い。
 あっと言う間に間合いを詰めると、凄まじい破壊力を秘める巨大な剣の腹で、一番近くにいた騎兵を馬ごと薙ぎ倒す。
 体勢を崩したところに振りかかってきた一撃を横に低く跳躍することで避け、器用に地面を一回転して立ち上がった。
 間髪入れずに、動揺している兵士に飛び掛る。
 偶然の色が濃かったが、ちょうど近くにいた二騎が縦一列に並ぶ形になってくれたので、ユリシーズは前の一騎のみを相手にするだけでよかった。
 完全に読んでいた突きの一撃を武器破壊すら思わせる剣撃で弾き、相手のランスを吹っ飛ばした。
 手の痛み、焦燥、更に目の前をよぎった重たい輝きに馬が驚愕したせいで、たちまち戦闘不能の状態に陥った騎兵の横を通り過ぎると、その後ろにいた兵士を剣で殴りつけた。
 前の馬が暴れはじめたことに気を取られた騎兵には、まさに見えざる力に襲われたようだったろう。
 鎧が地面に叩きつけられる音が耳に障る。
 ユリシーズは片足で跳躍し、馬に跨った。
 その頃になって、ようやく残りの二騎が冷静さを取り戻して包囲してきたが、二人ごときユリシーズの相手ではない。
「ユリシーズ=アルファイス、覚悟っ!」
 左右からランスが突き出される。
 すぐ正面には、こちらに尻を向けて首を激しく振っている馬がいるため、そちらに避けることはできない。
 もはや対応は不可能だと思われた。
 しかし、影に隠れていたケイコが目を閉じかけた瞬間、ユリシーズは本領を発揮した。
 片手にはあの大型の剣を持ったまま、両腕の篭手で左右から突き出されたランスを上に受け流したのだ。
 タイミングを少しでも間違えれば串刺しになっている場面である。
 こういう時のために、ユリシーズは剣士でありながら、わざわざ重たく強固な篭手を装備しているのだ。
「うっ・・・!」
 よほど力んだ攻撃だったのだろう、攻撃を受け流された二人の騎兵は揃って馬上で大きく体勢を崩した。
「はっ!」
 その隙を逃さずに、ユリシーズは利き手の側にいた馬を剣で殴り倒し、退かせた。
 もはや怪力というレベルさえ、はるかに凌駕してしまっている。
 彼はそこから素早く馬の腹を蹴りつけ、自分でこじ開けた馬一頭分の僅かな空間を駆け抜ける。
 前にいた馬に衝突しかけたが、剣の重量と共に体重を移動させて、強制的に馬の走行方向を修正してやった。
「ケイコっ!」
 片方の手で手綱を握り締めながら、ユリシーズは剣を背中の鞘に収めた。
 すると、すぐに両手で手綱を引き、馬を止める。
 驚きを隠せない表情のまま先ほどの角から出てきたケイコに、手を差し伸べた。
「早くするんだ!」
「え、ええ・・・」
 わけがわからないまま歩み寄ってきたケイコの右手を鷲掴みにして持ち上げ、もう一方の手を彼女の脇に回して、ユリシーズは華奢な身体を自分の前に引っ張り上げた。
「しっかり掴まっているんだ」
「ちょ、まだ準備が・・・」
 満足な時間も与えずにユリシーズは再び馬に蹴りを入れ、駆け出した。
 危うく振り落とされそうになったケイコだったが、生来の反射神経のお陰か、寸でのところでユリシーズの首に腕を回してその場に止まった。
 もう少し余裕があれば別のことを考えたかも知れないが、今の彼女は自分の身を守るのに精一杯でそれどころではなかった。
 多分加減はしているのだろうけれど、この青年の馬術は素人のケイコからすると乱暴にしか見えなかったのである。
 林道に逃げ入っても、そんな状態はしばらく続いた。
 ここでも、出くわした別れ道を、ユリシーズは他のヴォストークのメンバーたちとは違う方に進んだ。
 どちらにしても後で合流することができることはわかっているので、そうして相手の追ってを誤魔化そうとしたのである。
 ただ、ここに至るまで何度か後方を確認したが、誰かが追ってくるような様子がなかったので、必要はなかったかも知れない。
 優秀である。
 あの状況で深追いしても、ユリシーズに返り討ちにされるだけだ。
「あっ・・・」
 不意に、ケイコが小さな声を漏らした。
 敵と呼べる存在から遠ざかり、更にスピードを落としたこともあって彼女はだいぶ落ち着きを取り戻していた。
「どうした?」
 自分の腕の中にいる少女を見てみると、強く服の胸元を掴んでこちらを睨んでいるのがわかった。
 気のせいだろうか、この時ばかりはケイコが年相応の初々しい少女に見えた。
「見た?」
「何のことだ?」
「・・・別に。何でもないわよ」
「そうか」
 平然と答えるユリシーズの傷を見ながら、ケイコは続けて口を開いた。
「あなたは、腕、大丈夫なの?」
「ああ。慣れているし、骨には届いてない」
 こういった時のためにも、彼は常に筋肉を虐め、生きた鎧を作っているのだ。
 それがなければ矢は骨に至り、神経を傷つけていただろう。
「・・・だからって、平気なわけないじゃない」
「心配してくれているのか?」
「別に。ただ変人って言いたいだけよ」
「ひどいな」
 何の意味があるのか、安心したように大きく息を吸い込み、青年は前と後ろを時折確認しながら馬を走らせた。
 ケイコは何も言わなかった。
 実は、着ている服というのが寝間着に近いもので、大きく胸が肌蹴ていたのだが、ユリシーズはそれに気が付かなかったようだ。
 いや、知っていて白を切ったのかも知れない。
 だが、そうだと言ってケイコは問い詰める気にもなれなかった。
 どんな人物でどんな趣味があったとしても、今のところは彼についていくしかなさそうだし、こうして助けてもらったという事実もある。
 この青年との間に余計な問題を起こすことは避けた方が良い。
 ケイコはそんなことを考えながら、溜め息を漏らしていた。





 ヴォストークの一向はユリシーズの指示通り一足先に行動を始め、王国兵士たちに見つかることなくあの場から離れることに成功していた。
 そして、現在は指導者を待つ意味でも、速度を落としてゆっくりと移動をしている。
 首脳陣であるドハル、ナディア、そして盗賊あがりのラルゴは先頭の馬車にいた。
「遅いのぅ」
 ドハルがいつもの調子で、不安そうに虚空を見つめているナディアに声をかけてくる。
 その隣ではラルゴが仲間とカードゲームをやりながら静かに盛り上がっていた。
 うるさい声を上げるとドハルの喝が飛ぶので意識的に口を閉じているのだ。
 荒くれ者で短気、喧嘩っ早くていつも行き過ぎた闘争本能を持つ彼も、ドハルの年季の入った圧倒的な威圧感と論理的な話の展開には感服している。
「五体満足でいるといいのじゃが」
「彼はすぐに戻るわよ」
「どうかのぅ・・・」
 含み笑いを浮かべるドハル。
 事実、ユリシーズはいつも無傷で帰るというわけではない。最悪の時は、腕と肩の骨を折られて帰ってきたことがある。
 だが、その時は常人であれば絶対に死んでいる状況であったので、むしろそれだけで済んだのは喜ぶべきことだったろう。
 今思えば、ナディアが泣いてまでユリシーズに一人で行かぬように頼んだのは唯一あの時だけだ。
 その時ばっかりは、どれだけユリシーズの力を過大評価していても生還は不可能としか思えなかったのである。
 しかし、今度はそれとは比べ物にならない。
 ユリシーズの実力を考えれば無傷で当然の状況だったはずだ。
 それでも不安に感じるのはナディアの性格の問題である。
「あの男はちょいとがんばりすぎる性質だからの。それに、今回はあのキツい女子が足手まといじゃ。死にはせんだろうが、何かあっても不思議ではないの」
「何のこと?」
「若い男女が二人きり・・・想像に容易いじゃろ?」
「そいつはいいや」
 調子に乗ったドハルの笑いに同調するように、ラルゴはくぐもった笑い声を漏らした。
 ユリシーズより背が高く大柄なその男を睨みつけてから、ナディアは大きく息を吐き出した。
 男ばかりの集団の中にいるから、そういったからかわれ方をするのは仕方がないとは思うが、いい加減しつこすぎる。
 他にすることもないことはわかるけれど、被害者の身にもなってもらいたいものだ。
「・・・しかし、あの男は少しお人好し過ぎじゃよ」
 ドハルの口調があからさまに変わった。
 この老人は、そうやって自分が言っているのが冗談か否かを周囲に知らせるのだ。
 呆れ果てていたナディアも耳を傾ける。
「自分の命も大切にせんと、その内本当に取り返しのつかんことになる」
「・・・でも、そういう人だからみんなが彼を慕うのよ」
「おぬしはそれで良いのか?」
「またあなたはそうやって・・・」
「真剣に聞いておるんじゃ」
 ナディアは口をつぐんだ。
 個人的な感情を抜きにしても、ユリシーズは絶対に死んで欲しくはない男だ。
 彼がいなくなれば、今まで皆で成し遂げてきたことが全て台無しになってしまう。
 あまり認めたくはないが、ヴォストークはユリシーズ=アルファイスというカリスマがあってこその革命組織なのである。
 その男がいなくなることは、人間で言えば頭脳と心臓の双方を一度に失うことを意味する。
 まだ齢三十にも満たない男に何故それほどの存在感があるのかはわからないが、それは大きな問題ではない。
 ユリシーズがいて、ヴォストークがある。
 その事実が大切なのだ。
「彼も自分がどれだけみんなの支えになっているかは、わかっているはずよ。無理はしないわ」
「現にしてるじゃねえか」
 余計なところで口を挟んだラルゴを、親子以上に年の離れた男女は同時に睨みつけた。
 この大男は言わぬが花という言葉を知らないのだ。
 思ったことは何でもかんでも口にしてしまうラルゴは、よくユリシーズと対立する。
 それが、ナディアの悩みの種でもある。
 結局最後にはユリシーズに従ってくれるのだが、それなら最初からそうしてくれれば良いのだ。
 いつもユリシーズが彼を説得をしている時間が、無駄に思えてしまう。
 だが、それを言っては人間の感情というものを無視することになりかねない。
 損得に関わらず、自分が思ったことを即実行に移せる人間は、正直言ってナディアの憧れだった。
 彼女は普段から小さいことでも深く考え込んでしまいがちで、特に人間関係に関しては神経質になり過ぎて結局孤独になってしまうことがよくある。
 そんな自分を少しでも変えてくれたのはユリシーズだ。
 彼と、この危険ではあるが自分の信念を貫くための旅をするようになってから、自覚できるほどナディアは明るくなった。
 相変わらず冷静沈着ではあるものの、周囲の人間からある程度好かれるようになったのは、大きな変化だろう。
「大体な、オレはあの野郎に頼らなきゃ何にもできねえようなヤワじゃねえし、そんな根性ねえ集団が王国に勝てるわきゃねえだろうが」
「・・・ユリシーズは特別なのよ」
「ちっ」
 ラルゴは持っていたカードを床に投げつけると、大きな音を立てて跳躍し、馬車の後ろへ飛び降りた。
 すぐさま腰の剣を抜き、警備に回る。
 彼もわかっている。
 ユリシーズ=アルファイスは普通の人間ではない。
 目に見える能力も然ることながら、それ以上に彼自身から放たれている存在感、威圧感が常人のそれでは有り得ないのだ。
 神々しいものさえ感じられるほど、暖かく力強いものをユリシーズは持っている。
「・・・あの人は頼りになりすぎる・・・」
 何であっても、大切なものは中庸であるとよく言われる。
 その概念で言えば、ユリシーズの程度は限りなく悪くなってしまうに違いなかった。
 そうやって色々考えている内に憂鬱になって、ナディアは俯きながら自分の膝を抱え込んだ。
 彼女はいつも考え事をする時はこの姿勢を取る。
 自分でもよくわからない癖なのだが、こうしていると頭が冴えるのだ。
 しばらく、先頭の馬車に沈黙が訪れる。
「ほぅ・・・早かったのう」
「どうしたの?」
 唐突に言葉を放ったドハルに、ナディアは顔を上げた。
 考えはまとまらなかった。
 こうなると、いよいよ解決策は問題を忘れるしかなくなる。
「ユリシーズじゃよ」
 ドハルは顎で前方を示しながら教えてくれる。
 ナディアは素直に視線を移動した。
 前方には確かに銀色の髪をした青年と、対照的な黒髪の少女がいた。
 馬を休ませ、木に体重を預けている。
 だが、何よりナディアの注意を引いたのは、ユリシーズの真っ赤になった右腕だった。
「大変・・・!」
 思わず身を乗り出してしまうが、まだかなりの距離を離れていることを知って踏み止まる。
 それを横目で見ながらドハルが言ってくれる。
「怪我をしとるようじゃが・・・あの程度はいつものことじゃな」
「・・・そうね」
 確かにドハルの言う通りだが、治療をするのはいつもナディアである。
 彼女は昔医者を目指していて、王国でも有名な医者に師事していたことがあり、今では医学の知識はその恩師を凌ぐほどだ。手術の手際も良い。
 だから、皆に頼りにされている。
「すまない」
 ようやく近くまで来て合流を果たすと、すぐにユリシーズは頭を下げてきた。
 何度やっても懲りることはないが、自分勝手な行動をして皆に迷惑をかけたことを、彼は必ず詫びる。
「いつものことじゃからの。怪我は大丈夫か?」
「ああ、大丈夫だ」
「矢で撃たれたじゃない」
 ケイコが口を挟んできたが、それにはユリシーズとドハルが同時に目を円くし、同じタイミングで笑みをこぼした。
「ドハルは君のことを聞いたんだ」
「あ、そ」
 素っ気なく言って、ケイコは溜め息を漏らす。
「乗っていいんでしょ?」
「美人なら何人でも乗せてやるわい」
「・・・変なことしたら殴るわよ」
「そんなことしたら、ユリシーズに殺されてしまうわい」
 狡猾なドハルは実際にユリシーズに大目玉を食らわされたことなどないが、当然そうならないように配慮しているからである。
 ふざけているだけで本気ではないのだ。
 しかし、そんなことだからナディアやラルゴ、時にはユリシーズにさえ必要以上に警戒されてしまうのである。
「きったないわね」
 馬車に乗り込みながらケイコは言った。
 確かにそこには薄汚れた毛布や木箱があり、雨風を防ぐための革の幕も所々が破け、床も腐っているかのような色合いである。
 だが、立派に機能はしている。
「ほほっ、遠慮のない娘じゃのぅ」
 ドハルは愉快そうに笑った。
 ついでに言えば彼が着ている服もひどくみすぼらしいものだ。
 そんな光景から目を反らしたナディアは、怪我を負っているユリシーズが、いつまで経っても馬車に乗り込んでこないことに気が付いた。
 慌てて御者の隣から身を乗り出す。
 まだ若い御者は、ヴォストーク一の美女と名高いナディアの顔が急にすぐ近くに飛び出してきたので、僅かに顔を赤らめた。
「ユリシーズ、何をしているの?」
「警護に回る」
「あなたは怪我をしているのよ?」
「この程度なら・・・」
「いいから、早く乗って」
 それだけ言ってから、ナディアは馬車の中で早速と木箱の一つを自分の方に引き寄せ、中から治療に必要なものを用意し始める。
 ユリシーズはドハルと顔を見合わせて苦笑をしてから、後ろに回って馬車に飛び乗った。
 今はナディアとドハル、ケイコしかいないので案外広く感じる。
「傷口を見せて」
「ああ・・・」
 右手の篭手を外し、ユリシーズは防護服の前から腕を出した。
 一般の戦士と違って普段は胸当てをつけていないので、こういう時は早く準備ができる。
 ヴォストークで揃えられるような防具は、多少の効果はあるが、ユリシーズにしてみれば気休めの域を出ない。
 そんなものを着けていても邪魔になるだけなのだ。
 ちなみに、ラルゴも防具はほとんど装備しない。
 己の実力に自信のある者は大抵そうだ。
 ただユリシーズの場合は、先ほどのように相手の攻撃を腕で受け止めたりするため、鉄製の頑丈な篭手と脛当ては常用している。
「・・・消毒するわよ」
 一言断ってからナディアは薬草を煎じ、それに水を加えて布に染み込ませたもので、ユリシーズの腕に空いた赤黒い穴を拭う。
 ユリシーズの顔が僅かに歪んだ。
 傷自体は日常茶飯事のものだった。
 彼の腕には他にも多くの傷跡があり、その歴戦の激しさを窺わせる。人間のものとは思えぬほどの傷の数だ。
 それを見たケイコは知らぬ内に口を開いていた。
「すごい腕ね」
「色々とあったからな」
「この若造は困っとる人間を見ると放っておけん性質での。何でもかんでも首を突っ込んでは、怪我をしおる。馬鹿なお人好しじゃよ」
 ドハルはまだ禿げる気配すらない頭を掻く。
「本当なの?」
「自分ではよくわからないが・・・そうなのかも知れないな」
「そう・・・馬鹿な男ね」
 ケイコの一言に、馬車にいた彼女以外の三人は皆驚きを隠せなかった。
 何を思うよりもまず呆気に取られた。
 彼女は続けて言う。
「人助けなんて馬鹿がすることよ。人間なんてその場限りで、恩なんてすぐ忘れるわ。助けたって何の得にもならないじゃない。ただ自分だけが傷ついて・・・めちゃくちゃ人生損してるわよ」
「それでも、私は君を助けたい」
 今度はケイコが呆気に取られる番だった。
 ユリシーズはただ単に自分の素直な気持ちを述べただけだが、ケイコにはそれが信じられなかった。
 自分に関わったせいですでに右腕に矢を打ち込まれているのに、まだ続けると言うのだ。
 わからない。
 もう口を聞くのも馬鹿馬鹿しくなり、顔を背けてケイコは沈黙した。
 それを見てユリシーズが苦笑をする。
 人間の器に圧倒的な差があった。
 果たして、ケイコはそれに気が付いたであろうか。
 静寂が訪れる中、傷ついた青年の血の匂いが微かに漂っていた。





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