屋上に出たダイスは、少し強いが、冷たくて心地の良い風を受けながら、目的の人物の姿を探した。
ヘリポートや貯水タンクなどが視界に入る。
窓越しではなく、直接見るランカスターの夜景が美しかった。
星の海が、地上に落ちたような光景である。
そこに星座があるかどうかは、ダイスにはわからなかった。
やがて、視界に目標を捉えると、彼はゆっくりと彼女に歩み寄り、適当な距離を取って足を止めた。
「・・・また会えたな」
ダイスの第一声に、安全塀に手を置いて夜景を眺めていたジーナは、しかしすぐには反応しなかった。
彼女は昨夜ダイスと会ったときとはデザインも色も異なるが、やはりシンプルかつ上品なドレスを身にまとっていた。
その赤いスカートに入った長いスリットが、否が応にもダイスの視線を引きつける。
「来てくれたのね」
「オレは約束は守る。特に、君みたいな美人との約束はな」
「そう・・・光栄よ、『幸運のダイス』」
「オレはレオンって名乗ったはずだが?」
ダイスの軽口を聞きもせずに、ジーナは振り返るなり拳銃を向けてきた。
女性らしい小型の拳銃で、「シグ・ザウエル P230」であった。
「とても残念よ・・・素敵な人と出会えたと思ったのに」
「ウソを言ったことは謝るよ」
余裕しゃくしゃくのダイスにジーナは軽く首を左右に振ってみせた。
そして、問い詰めるように言ってくる。
「地下を、見たでしょう?」
「ああ。非合法ステロイド剤、通称『エデンの実』・・・その名の通り、楽園にしかないはずの代物だが」
「それが、ここには大量にある・・・その事実を知る者は、生かしておくわけにはいかないの」
「あんたみたいな美人には似合わない台詞だ」
「・・・さようなら」
ジーナは照準をダイスの眉間から、心臓へと移し、すぐに引き金を引いた。
パァンッ!
全くためらいがなかった。
ダイスには反応する暇がない。
狙いも正確だった。
ドサッ
ダイスの身体が後方に倒れる。
「がっ・・・!」
硬い床に背中を叩きつけられ、くぐもった呻き声を漏らすダイス。
彼女は夜風に美しい金髪を靡かせながら、静かにダイスに歩み寄って行った。
顔を狙わなかったのは、単純に彼の顔を傷付けたくなかったからだ。
「私は冷酷な女よ。そうでもなければ、この世界では生きてゆけない」
たとえ心臓を撃ち抜かれても、十数秒はまだ意識があることを知っているジーナは、ダイスに教えてやるように言った。その声はどこか切ない。
「・・・そう、だろうな」
一言ダイスは言うと、上半身を起こして、立ち上がる動作を見せた。
有り得ないことにジーナは言葉を失い、後ずさる。
よく見れば、左の肩は出血しているようだったが、自分が狙ったはずの胸は全く出血している雰囲気はなかった。
「何故・・・!?」
動揺しているジーナの視界の中で、ダイスはその場で右足を軸にして身体を回転させた。
そう思った瞬間には、
コンッ!
左の後ろ回し蹴りがジーナの手から拳銃を弾き飛ばした。
ダイスはそれが床に落ちる鈍い金属音がする前に、右手で腰の後ろに忍ばせてあったコルトパイソンをジーナの顔に突きつけた。
「チェックメイト、ってヤツかな」
ガンッ・・・
ジーナの拳銃が落ちる音が、遠くで聞こえた。
「・・・あなた、不死身・・・?」
「まさか」
ダイスは不敵な笑みを浮かべながら、止血したとは言え少し痛む左腕を動かし、ジャケットの左裏側を見せた。
そこにある物こそ、ダイスの命を救った代物。
数多く束ねられたそれには、彼女が放った銃弾がしっかりとめり込んでいた。
ジーナは唖然とした。
「いつも持ち歩いてる」
「・・・幸運の一万ドルってわけね・・・」
苦笑をしたジーナは、改めてこの男の通り名を思い出した。
その名を『幸運のダイス』。
幸運の女神と共に人生を歩む男。
「私の負けよ」
自嘲じみた笑みを浮かべながら、彼女はそっと目を閉じた。
その瞼の裏に何を見ているのかは、ダイスには計り知れない。
「何もかも終わりね・・・ドミナンテも、私も・・・」
ジーナは苦笑をして、空を見上げた。
数世紀前なら美しい星々の煌きが見られただろうが、すでにそれは地上に落ちてしまっているため、見ることは叶わなかった。
かすかな月光を抱いて、大きく欠けた月だけがそこには浮かんでいた。
髪を揺らす夜風は少し肌寒く、心地よかった。
とても澄んでいる。
身体に染み付いたエデンの香りを洗い流してくれるようだった。
物悲しい苦笑を浮かべるジーナ=リースマンの顔は、とても美しかった。
ダイスは相変わらず拳銃を彼女に向けていたが、表情は穏やかそのものであった。
「・・・これからは、ヤバい物には手を出さないことだな。危険な女も悪くはないが、怖くておちおちデートもできやしない」
男がそう言うと、美女は光を引き剥がされた空から目を離し、幸運の女神の夫を見た。
良い表情をしている。
一瞬、ジーナはそう思った。
「・・・見逃すとでも言うの?」
「いや、初めからオレは何も見てなかった。ただそれだけのことさ」
ダイスは百戦錬磨の笑みを美女に向け、拳銃を腰の後ろに戻した。
「変な人ね・・・」
「よく言われるよ」
ダイスは左の裏ポケットにある一万ドルの札束から銃弾を外すと、100ドル札を一枚取り出し、ジーナに差し出した。
彼女にしてみれば、ほとんど紙切れ同然の価値しかないものである。
「これは?」
「ブランデー、奢るよ」
「・・・そうだったわね」
もはや敵意などない。
むしろ好意さえある笑顔を見せながら、ジーナは100ドル札を受け取った。
ダイスはそれを満足そうに確認してから、振り返って屋上のドアへと歩き出す。
ジーナはただそれを見つめていた。
と、不意にダイスは足を止めて、肩越しに振り返った。
「また今度、デートしてくれないか?」
「・・・いいわ。約束してあげる」
彼女の返事に、ダイスはフッと笑った。
「それじゃ・・・またな」
その言葉を最後に、ダイスはジーナの前から姿を消した。
少し冷たい夜風が頬を撫でるが、ジーナは何故だかそれを温かく感じていた。
その手にある一万ドル札には、縁が焦げている穴が空いている。
ジーナはそれをいつまでも見つめていた。
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