幸運のダイス

第五幕
「Let’s Enjoy The Game!」




 世界有数の巨大財閥リースマングループが経営するカジノ「ドミナンテ」は、今夜も溢れ返る人と金とで繁盛をしていた。
 資本家である金持ちどもがいかに暇なのか、よくわかる。
 ほとんど日課のように集まり、毎日金と女、女性の場合は男を侍らせて遊び呆けているのだ。
 しかし、中には一攫千金を夢見て、少ない資金で勝負に挑む者もいる。
 ただ、間違えてはならない。
 カジノでの勝負を生業とし、生計を立てているる者をギャンブラーと言うのであって、負ける確率の方が高く一文無しになるのは、遊びの限度を知らないただの阿呆である。
 そして、ダイス=アッシュケインは、幸運の女神を生涯の伴侶としている最強のギャンブラーだ。

「だぁぁーっ!止めだ、止めだ!こんな下らねえゲーム、やってられるか!」

 ポーカーテーブルに座っていた男は、ディーラーの手札を見るなり思い切り自身のカードを場に叩きつけ、イスを蹴り飛ばした。周囲から微かな驚きの声が漏れるのも耳に入れずに、その場を去っていってゆく。
 ギャラリーたちの白い視線など気にしない。
 金持ちたちは体裁を繕いつつ、互いを愚弄し合うのが常である。
 良いか悪いかは別にして、軽蔑されるのには慣れてしまっているのだ。

「次、いいかい?」
「どうぞ」

 ディーラーが余裕の笑みで迎えた次の相手は、黒髪で長身、手足の長い端整な顔立ちの青年だった。
 彼は倒されたイスを元に戻してから、それに腰を下ろした。
 まず、胸ポケットからタバコとライターを取り出し、火をつける。
 一度大きく煙を吸い込んでから煙を吹きかけてやると、ディーラーは眉をしかめて、ひどく不機嫌そうに咳払いをした。
 当然である。

「お客様、申し訳ありませんが、当店は禁煙でございまして・・・」
「固いこと言うなよ」

 黒髪と長い手足を有するダイスはタバコをくわえたまま、「さて」とようやくディーラーと顔を見合わせる。

「一勝負、頼むぜ。掛け金は現金でも構わないかい?」
「・・・見たところ、お客様はチップもキャッシュも、持ち合わせていないようですが?」
「今用意するよ」

 ゆっくりとダイスが腕時計を見たのとほぼ同時に、ギャラリーの後方から相棒の声がした。 「すいませーん、通してくださーい」

 と誠意のない声を上げながら、彼はその身体には少々大きなジェラルミンケースを持って、ギャラリーを強引に掻き分けながらダイスの元までやってきた。
 小さいくせに負けん気だけは人一倍である。

「掛け金はこいつだ」

 一応予定通りに到着したフランクに作業をさせながら、ダイスは動揺を隠せないでいるディーラーの反応を楽しんでいた。
 この時点では、単純に彼らの行為が珍しいだけで、何かしら虚を突かれたわけではなかった。

「よいしょっと」

 そう言って、フランクはケースを開け、中身を見せてやる。
 瞬間、ギャラリーがどよめいた。

「きっちり100万ドルだ。確認しても結構だが?」

 ダイスの勝ち誇った笑顔とは対象的に、ディーラーは今にも目玉が飛び出しそうなほど驚いていた。
 さすがに今度は度肝を抜かれたであろう。
 いくら金持ちばかりが集まる店とは言え、普通は一晩かかってようやく使い切るような金額である。

「正気ですか?」

 ディーラーが、心配というよりは遠慮をするように尋ねる。
 その真意を知っているダイスは、しかしその不敵な笑みを崩すことはなかった。

「冗談でこんなことするかよ」

 口にタバコを咥えたまま、実に器用に彼はしゃべる。

「・・・わかりました。せっかくの大勝負の申し出です。受けさせて頂きましょう」

 すっかりエンターテイナー気取りのディーラーは、自分に酔うように笑みを浮かべて、カードを切り始めた。
 前代未聞の大勝負に周囲で見物する客も、身を乗り出すようにして事の顛末を我が目に納めようとし、僅かに騒然となっていた。
 そんなギャラリーたちの何十もの視線に見つめられながらも、ダイスはのんびりとタバコを吹かす。
 彼もまたそういう役柄のキャラクターを、この場で演じていた。
 ダイスは自分を客観的に、つまり第三者の観点から観察、分析できる人物である。
 そうすることで、人生を人の倍楽しめると思っているし、第一彼は格好をつける自分が好きなのだ。
 無論、楽しみながらも相手の一挙一動を見逃さない集中力を保っている。
 やがて、ディーラーがその手を止めた。

「ちょっと、いいか?」
「え、はい、いかがなさいましたか?」

 早速とカードを配ろうとしていた寸前で止められたディーラーは、背後から突然声をかけられたようなの驚き方をした。
 当然、相手はすぐ目の前にいるわけなので、少し大げさなリアクションではある。
 その心を見透かしたように、ダイスは笑みを深めた。
 フランクも至極愉快そうに勝負の行方を見守っている。
 笑顔がとても可愛らしい少年は、しかし金の亡者であり、底意地の悪い性格をしていた。

「そのカード、オレに配らせてくれよ」
「へっ・・・いや、しかし、ディーラーはわたくしが任されておりますので・・・」
「どっちが配るかで勝敗が決まるわけじゃないだろ?」

 咥えていたタバコを左手に持ちながら、ダイスは気取って言う。

「それは、そうですが・・・」

 言葉に詰まり、血の気が引いてゆく相手を、ダイスは意地悪に観察していた。
 きっと急速に喉が渇いているであろう。
 そんな風に思いながら、ダメ押しをしてやる。

「なんだ、他人に配られるとまずい細工でもしてあるのか?」
「ま、まさか!決して、そのようなことは・・・」

 イカサマか、という疑いの声がギャラリーのどよめきの中から聞こえ、ディーラーの額には汗が浮かび始めていた。
 医者から死の宣告を受けた患者のような顔である。

「じゃ、問題ないだろ?」

 ダイスはタバコを唇に戻した後、自分がイカサマをしないことをアピールするように腕をまくりをして、「これでどうだ」という顔をディーラーに見せた。
 ここまでやられては、ディーラー側としてはカードを渡すしかない。
 まさか世界的に有名なカジノのディーラーがイカサマをしたなどという噂が広まれば、ドミナンテはカジノ分野はおろか他の分野でも相当な打撃を受けるだろう。
 そして、何より自分の命が危ない。
 ドミナンテの裏の顔を知っているディーラーは、ダイスの手の上に乗るしかなかった。
 おそるおそる手渡されたカードを、彼は硝子細工でも扱うかのように、あるいはディーラーに見せ付けるようにして、そっと配り始めた。
 自分の方から。
 ダイスは、今やテーブルの上に置いた手が震え始めている対戦相手を静かに観察していた。
 やがて、5枚のカードを配り終える。

「さて・・・」

 手札を見てダイスが得たのは、歓喜ではなかった。
 自分の予測が的中した時の小さな快感にも似た、微かな高揚感である。
 隣のフランクは、どちらかと言えば歓喜であろう。
 100万ドルが今まさに自分の胸に飛び込もうとしているのだから、彼の性格を考えるとむしろ当然と言える。

「・・・顔色が悪いな」

 先ほどから紫煙を発し続けているが、決してそのせいでないことは明らかである。

「いえ、別に・・・わたくしは、2枚ドローさせて頂きます」

 ディーラーはそう言うと、手札を2枚捨て、山札から同じ枚数だけカードを取った。
 そのカードを見た後も、表情が変わることはない。

「フン・・・」

 不敵な笑みを浮かべたまま、ダイスはとんでもない行動に出た。
 なんと、手札の全てを周囲の人間に見せたのだ。
 その行為で、ディーラーの顔色を更に変えることに成功する。
 もはや青白い。
 同時に、ギャラリーたちが驚愕する。
 彼のカードは、スペードのロイヤルストレートフラッシュであった。

「・・・オレはこの5枚をドローする」
「キャーッッッ!」

 有り得ない発言に、フランクが悲鳴を上げた。
 命よりも大事かも知れない大金が、翼を生やすどころか、ジェットエンジンを装備して自分の元から飛び立とうとする画が思い浮かぶ。
 周囲の見物客たちは、もはや驚くのを通り過ぎ、呆れるのを飛ばして混乱に陥っている様子だった。
 ディーラーもその中の一人に甘んじてしまう。
 ただ、唯一彼だけは全ての事情を知っていた。
 こちら側が適当なバランスを取って勝敗を左右していたのを見破ったのに、何故にそのような暴挙に出るのかがわからない。
 みすみす100万ドルをドミナンテに贈与する気なのだろうか、と思ってもみるが、そんなお人好しは世界中どこを探してもいるはずがない。
 一体、どうして。
 全く以ってこの男の真意を掴めなかった。
 様々な人生を歩んできた人々の注目の中、ダイスは一枚一枚、ゆっくりとカードを引いていった。
 やがて、最後の一枚を引き終える。
 彼は特別に表情を変えることもなく、自分の目の前にいる男に言った。

「勝負だ」
「はい・・・」

 ディーラーは冷や汗でカードを滑らせぬように気を付けながら、自分の役を出した。

「・・・フルハウスです」
「いい手だな。オレは・・・」

 もったいぶるようにダイスは静かに、一枚ずつカードを場に出していった。
 白々しいが、彼なりの演出である。
 まんまとそれに呑み込まれた人々が、彼の一挙一動を息を呑んで見守った。
 フランクもそこに含まれている。
 全てのカードが場に出されるまで、どれほどの時間を要しただろうか。
 期待が大きい分、余計に長く感じたかも知れない。
 ようやく、ダイスは最後のカードをギャラリーに披露した。
 瞬間、いつの間にか大人数に膨れ上がっていたギャラリーは完全に言葉を失った。

「ロイヤルストレートフラッシュだ」
「・・・ウ、ウソ・・・?」

 彼の相棒は、妙なポーズを取ったまま止まった。
 時間が凍り付いてしまったようである。
 しばし沈黙が続き、タイミングがずれて大きな拍手と歓声が鳴り響いた。
 その騒ぎに、カジノにいた人間はほぼ全員が、何事かとポーカーテーブルに視線を注ぐ。
 人垣の中で何が起こったかまでは、わからなかっただろうが。

「うそ、本当に!やった、やったよ!信じられない!」

 小踊りして再び歓喜を呼び覚ますフランク。
 一方のディーラーは、極上のエンターテイメントに盛り上がる観衆の中で、一人取り残されていた。
 未だに、自分の前で起こった出来事を正確に把握できていない。
 イカサマを見抜いただけでなく、それを使わずして最高の役を引き当てて見せたこの男。
 その存在自体が疑わしく思えてくる。
 何という幸運、いや強運であろう。
 ただがむしゃらにやるのではなく、意識的に運を引き寄せているようにも見えた。

「幸運の女神とは長い付き合いでね」

 勝利したダイスは、会心の笑みを浮かべてみせたのだった。
 そのとき、監視をしていた警備員たちが、ポーカーテーブルの騒ぎに気が付いてそちらに視線を向けていた。
 そして、騒ぎの中心にいる人物が特定されると、全員に一斉に連絡が行き届く。
 至急、ダイス=アッシュケインを拘束せよ、と。
 興奮冷め遣らぬギャラリーたちを「失礼」と言いつつも乱暴に掻き分けて、数人の警備員がダイスたちを取り囲んだ。
 予定とは少し違ったが、かと言って予想外でもなかった展開だったので、ダイスは慌てることもなく左のポケットから携帯灰皿を取り出していた。

「お客様、申し訳ありませんが・・・」
「わかってるよ。抵抗なんかしないさ」

 ダイスはゆっくりと立ち上がって振り返ると、警備員の一人にタバコの煙を吹きかけ、限界まで短くなっていたそれを灰皿に放り込んだ。
 その隣では、フランクが慌てて100万ドルのケースを閉じて抱きかかえている。

「くっ、貴様・・・」
「案内してくれよ」

 ダイスは両手をパンツのポケットに突っ込みながら、静かに歩み出した。
 現実にはいそうでいないキザ男であるが、それが画になる人物なので、見せ付けられた方は、同じ男として憎たらしい限りであろう。
 金にしか興味のない少年はもう慣れたものだが、パートナーがそう決定してしまっては、従わざるを得ない。

「せっかく勝ったのにぃ・・・」

 フランクは泣きそうな顔でそれに続いた。



 二人が連行されたのは、ドミナンテのビルの五八階だった。
 どうやらVIP待遇らしいが、それにしてはエレベータの中で後ろ手に手錠をかけられ、拳銃を取り上げられたりした。フランクはついでにジェラルミンケースを取り上げられた。
 今、100万ドルの入ったケースは警備員の一人が持っている。
 最上階近いフロアの通路は、気品が溢れる実にエレガントな装飾が施されていた。
 右手側には全面ガラス張りの壁がある。
 それにはチリ一つ付着しておらず、向こうに自分たちの姿が半透明に映っていなければ、風がないことに首を傾げたかも知れない。
 どれだけの価値があるかはわからないが、現代文明がこのランカスターの地上に描いている星の海も悪くはない。
 反対側の壁、天井は落ち着いた薄めのベージュで統一されており、適当な間隔を挟んで設置されている観葉植物や絵画などのインテリアが、長い移動を飽きさせない。
 床に敷かれたカーペットには、例によって赤を貴重とした模様が刺繍されているが、上品さが感じられ、不快なほど強く主張するものではない。
 空間はあくまで引き立て役に徹し、そこを訪れる主役である客を際立たせている。
 後はその主役次第、と言ったところであろう。
 自分なら問題はあるまい。
 連行されている立場にありながら、ダイスにはそんなことを考える余裕があった。
 その時、先頭を行っていた警備員がふと足を止めた。
 ちょうど、見た目だけは年季の入った木目の、厳かな両開きの扉の前である。

「入れ」

 と、男は早速とそのドアを開けた。
 無言のまま指示に従い、仕方なくではあるが入室を試みようとした二人は、しかし強引に背中を押されて部屋の中に突き出された。
 せっかちな連中だ、というのはダイスの感想。
 言う通りにしてたじゃないか、というのはフランクの感想である。
 二人は危うく前のめりに転びそうになりながらも、何とか体勢を整えて、顔を上げた。
 同時に視界に入った人物の姿に、ダイスが驚きの声を漏らす。

「レイチェル・・・!?」
「ダイスさん、フランクさん・・・!?」

 足元には通路の床と同じカーペットが敷かれており、正面の壁はガラスのみで構成され、その先に見える数十の摩天楼が彩る地に落ちた星空が、その場に空気に似合わぬ雰囲気を演出していた。
 左右の壁には誰の物かはわからないが、大きな絵画がいくつか飾られている。
 一言で言えば、廊下とさほど変わり栄えのしない部屋だ。
 その中心にある応接テーブルを挟むように設置されたソファに、レイチェルは座っていた。
 無意識に高そうなソファに目を付けるフランクとは違って、ダイスはもちろん彼女に怪我がないかを確かめる作業を目で行う。
 少し衣服が乱れているのが気になった。

「ようこそ、我が城へ」

 数千万ドルの価値がある夜景を背に、大きなデスクから立ち上がったのは、サイズが少し小さいように思える茶色のスーツを着た、大男だった。
 左右の手の指に、やたらと金や宝石を付けている。
 大きなダイヤも見えた。
 この男が購入しなければ、どこかの美女がその輝きを更に増していたところだろうが、生憎と彼の手中に落ちた宝石たちは腐って見える。

「ランディ=リースマン、でよかったか?」

 相手の自己紹介を聞くには到底なれなかったし、事前に知っている情報でもあったので、ダイスは自ら確認するように切り出した。
 時は金なり。お互いのための時間の節約である。
 そんな彼のささやかな心遣いは、しかし、ものの見事に無視された。

「これはこれは、『幸運のダイス』が私の名を知っていてくれるとは、光栄だな」
「そんなワケないだろぉ?ハッキングして調べたんだよ。やりたくもなかったけどね」

 可能な限り、この男の声は聞きたくない。
 ダイスの秘めたる思いに気づいたわけではないだろうが、ここは相棒も同感だったらしい。
 フランクはこれ以上の発言を阻止すべく、大きく溜め息を漏らしながらも、気を取り直して続けた。

「ドミナンテのマネージャー、ジーナ=リースマンの出来の悪い弟さんってところかな。ちなみに、28歳独身、身長184センチ、体重95キロの小太りで、裏口入学したランカスターの三流大学を2回留年・・・」
「やかましいっ!」

 ランディに怒鳴られて、フランクは手錠を掛けられたまま、肩をすくめた。
 どうやら、本人としては自分の履歴をあまり誇りに思ってはいないらしい。
 普通はそれで当たり前であろうが、この男に世間並みの恥という感覚が残っていることに、僅かながら感心する。
 莫大な財力を抱える家庭に生まれ、不自由がないどころかあらゆる勝手が許される環境で育った人間というのは、他人を見下し、体よく利用することばかり学ぶ傾向が強く、恥を知らない大人になることが多々あるのだが。

「クソ生意気なガキめが・・・」

 憤怒を表情に浮かべ、歯ぎしりをしながらランディは大きなデスクをその足でわざわざ回って、身動きの取れない状態にある二人の男の前まで移動した。
 そして、何をするのかと思いきや、いきなりフランクを殴りつける。
 まさかストイックに鍛え上げた分厚い体格ではなかろうが、下手をすれば体重差にして30キロ近くはある男の拳は、マッチ棒のような少年にはいささかきつい。
 フランクは成す術なく後方に倒れ込んだ。

「フランクさん!」

 周囲を黒いスーツ姿の男たちに囲まれていたレイチェルが、悲鳴に近い声を上げる。
 相棒のダイスはというと、微かに眼光が険しくなったようにも見えるものの、平静を保っている。

「いったぁ〜・・・」

 根拠もなく勝ち気な少年はわざとらしく言いながら、ゆっくりと立ち上がった。
 両手を腰の後ろで固定されているため、その動作だけでも緩くない。
 態度を改める様子のない相手にランディは舌打ちをするが、それ以上の暴挙には出なかった。
 代わりに、比較的身長が近く、話しやすい長身の方に大きな顔を寄せた。
 ダイスは自然と息を止める。
 ランディはそのまましばらく彼の目を睨んだ後、怒りを露にしていた表情を僅かに緩めて、口を開いた。

「・・・なあ、ダイス。オレはこうしておまえに会えて嬉しいんだぜ?姉貴の罠をよくぞかわしてくれた」

 罠のことを口にすると、レイチェルはそれまで心配そうにダイスを見やっていた視線を反らし、俯いてしまった。
 それを知ってか知らずか、大男は肩越しにその様子を眺めて意地の悪い笑みを浮かべる。

「そこでだ・・・おまえのギャンブラーとしての腕を見込んで・・・うごぉっ!?」

 突然股間に走った激痛に、ランディは不様にも両手でそこを押さえながら前傾姿勢になってしまう。
 男にしかわからない痛みである。
 だがそれでは終わらず、更にダイスはランディの顔面を、まるでサッカーボールに対するかのごとく蹴りつけてやった。
 今度は逆にのけぞり、非常に痛々しい姿勢で大男は自慢のデスクに背中を打ちつけた。
 その瞬間に、彼らを連行してきた警備員や、予め部屋にいた男たちが一斉に拳銃を向けてくるが、ダイスはそれらを全く無視して言い放った。

「あんた、息臭すぎだぜ」
「くっ・・・この野郎・・・っ!」
「お誘いの方は断らせてもらうよ。ジーナとなら組んでもよかったんだがな」

 そう言うと、ダイスは両足で軽く跳躍をした。
 膝が胸に触れるように長い足を折り畳み、空中で後ろ手に手錠をかけられていた両手を前に回した。
 縄跳びの要領であるが、天性の長い手足としなやかな筋肉がなければできない芸当だった。
 それで周囲を驚かせながらも、ダイスは更に胸ポケットからタバコとライターを取り出し、火を付けて見せた。
 更に、未だに股間を押さえているランディに、挑発をするように言う。

「おっと、この部屋は禁煙だったか?」
「バカにしやがって・・・もういい、ぶっ殺せ!」
「了解です」
「いや、止めて下さい!」

 リーダー格なのか、レイチェルの背後に控えていた黒いスーツの男は、拳銃の照準を、鉄の鎖で連結されている片方の手でタバコを吸うターゲットに向けた。
 余裕綽々の男に眉間を正確に狙う。
 居ても立ってもいられなくなったレイチェルは、とっさにその弾道を塞ごうとするが、すぐに動きを封じられた。
 そんな彼女にウインクさえして、ダイスは不敵な笑みを更に強める。
 この場合、『不適な笑み』と言った方がいいのかも知れないが。

「どうせやるなら、一思いにやってくれよ。痛い思いはしたかないんでね」
「フン、減らず口を・・・言われなくても、脳天ブチぶけてやるよ」
「止めて!お願いだから・・・!」

 レイチェルの叫びも虚しく、引き金は引かれた。
 せっかく追い詰めた獲物を目の前に、長々と無駄話をして、牽制逆転の機会を与える趣味はないらしい。
 あまりにも呆気なかった。
 全員が同じ制服に包んでおり、実に個性のない集団ではあるが、それだけ統制の取れた、一通りの訓練を受けた人材が揃っているということが言える。
 これくらいの距離で外すような腕では、その職業は務まらないであろう。
 タバコが手から離れて舞い上がり、ダイスの身体は頭部を弾かれたように仰け反らせながら、勢いよく後方に吹っ飛んだ。
 硝煙を吐き出す銃口の先で、一度ソファの手すりにぶつかってから、深い絨毯の上に身体が落ちる。
 思ったほど音は大きくなかった。
 照明があまり強くないため、赤い絨毯に血液が広がっている様は見ることができなかったが、手応えは十分である。

「いやあああああああああああ!」

 レイチェルは両側からしっかりと腕を押さえつけられながらも、必死に駆け寄ろうとする。
 フランクはダイスを横目で見つめていた。
 その表情は無機的で、感情が浮かんでいない。
 ようやく痛みが少し引いて、何とか立てるまでになったランディは、まるで足元の感触を確かめるかのようにゆっくりとダイスの方に歩み出した。
 歩数にして3、4歩のものだったが、それはさながら勝利の凱旋に近い感触を味あわせてくれる。

「何てこと・・・こんな・・・」

 決して悪い人ではなかった。
 いや、むしろ好印象を抱いていた。
 自分を助けようとしてくれたのだから。
 そんな男の身体が力なく倒れている姿を、レイチェルはもうまともに見ることができなくなっていた。

「バカな男だ・・・せっかく、このオレが救いの手を差し伸べてやったというのに・・・」

 ランディは絨毯の上でくすぶっていたタバコの火を踏み付けて消し、ダイスの側まで来た。
 彼はちょうど両腕で顔が隠れるような姿勢で倒れていた。
 僅かに目が見える。

「その間抜けな死に面、拝んでやる」

 そうやって、彼の顔を覗き込んだときだ。
 ダイスの両目がカッと開き、口元に笑みが浮かんだのをランディは見た。

「なっ・・・うごぉっ!?」

 再び股間に強烈な打撃を受けた大男は、今度は前傾姿勢だけでは済まず、その場に座り込んでしまった。
 両の目からは、微かに涙が流れている。
 一方のダイスは、鍛え上げられた腹筋で両足を持ち上げ、その反動を十分に活かすため、自由になったばかりの両手で胴体を持ち上げた。
 それによって勢いを増すと、両足が投げ出されるように跳ね上がり、ダイスはちょうど逆立ちをするような格好になった。
 そのまま足を腹筋で引っ張り、天地がひっくり返った視界を元に戻してやる。
 失敗して背中から落ちた倒立前転を逆再生したような動作だ。

「きっ、貴様・・・何故・・・!?」

 震える両足で、大男は何とか自身の重たい尻を床から引き剥がす。

「人間には運命ってヤツがあってな」

 ダイスは、カジノで見せた会心の笑みを、今一度再現した。

「死ぬ時はあっさり死んじまうもんだが、死なない時はとことん死なないもんなのさ」

 軽く身構えたダイスの両手には、真ん中あたりで鎖が砕けている手錠がまだ掛けられたままだった。
 頭部を狙った銃撃を受けたとき、彼がタバコを吸っており、手がちょうど頭部付近にあったことを、ランディは思い出した。

「まさか・・・あの銃弾で、鎖を・・・!?」
「そういうことだ!」

 ダイスは語尾に力を込めて言い、右足を踏み込んで、両手が使えないだけでなく痛みのあまり微動だにできないランディに、左の拳でアッパーを喰らわせた。

「がっ!」

 続けて身体を回転させて、右足のローリングソバットを、ランディの少し贅肉のついた胸に叩き込んだ。
 彼の巨体は後方に大きな力を受け、さすがに吹っ飛びはしなかったものの、立とうともがいたために足がもつれ、レイチェルがいる方へと千鳥足の後ろ歩行で近付いていった。

「きゃっ・・・」
「うわわっ・・・!」

 レイチェルが慌てて避ける中、部下としては自分のボスをそのまま避けてしまうわけにもいかずに、受け止めた。
 しかし、90キロを越える大男をそう簡単に受け止めらるはずもなく、彼らは一緒になって倒れ込んでしまう。
 ダイスは間髪入れずに近くにいた男に突進した。

「くっ、貴様・・・!」

 司令塔が失われたため、一瞬拳銃の引き金を引くことを躊躇った瞬間を狙ったわけではないが、結果的にそうなり、ダイスがかなりの遠距離から放った右の回し蹴りは、狙い通り男の拳銃を弾き飛ばすことができた。
 こうも手足が長いと、相手をする方としては間合いを取りづらい。
 おまけにダイスの攻撃はとんでもなく速かった。
 慌てて突き出された敵の拳打を避けるのと同時に、その手首を引っつかんで、みぞおちに肘打ちをめり込ませると、自分を狙う銃口たちから隠れるように器用に身体の位置を入れ替える。

「くそっ、殺せ!」
「し、しかし、仲間が・・・!」
「構わん、撃てっ!」

 リーダーにそう命令されても、同じ釜の飯を食った仲間を、他の連中はそう簡単に撃てなかった。
 ダイスは盾に使っていた男の顎を上段の前蹴りで蹴り飛ばした後、その男から弾き飛ばした拳銃を拾おうと駆け出した。
 少なくとも十人が、この狭い部屋の中で自分の命を狙っている以上、素手でいるのは勇敢とは言い難く、無謀である。
 だが、

「うぐっ・・・!」

 左肩に銃弾が命中し、勢い余って壁に叩きつけられた。
 ダイスは体重を壁に預けつつ、男たちの方を見る。
 これだけの数の銃口に狙われては、いくらダイスでも手出しできない。
 二度に渡る金的攻撃を受けて悶絶しているランディは、それでも何とか身体を起こし、壁を背もたれにしつつ顔を上げた。
 そして、ダイスの肩の出血を見るなり、歓喜に顔を歪める。
 もっとも、冷や汗でびっしょりの顔では、それも苦悶の表情に見えてしまう。

「くくく・・・っく・・・これで終わりだな、ダイス=アッシュケイン・・・」

 ダイスの苦痛に歪んだ顔を名残惜しそうに堪能するランディ。
 次の瞬間、立て続けに銃声が鳴り響き、ダイスに向けられた拳銃がそれぞれの持ち主から次々と独りでに離れ、空中に飛び出した。
 男たちの手には確かな衝撃と痛みがある。
 ランディは何事かとそちらを見た。
 そこには彼が先ほどまで踏ん反り返っていたデスクがあり、二人の男女が夜景を背に立っていた。
 フランクとレイチェルである。
 どさくさに紛れてそこまで逃げてきていたのだ。
 二人とも手はまだ手錠に拘束されたままだったが、フランクの両手は拳銃を握り締め、油断なく男たちに向けられていた。

「いつもこうしてくれると、助かるんだがな」

 肩をかばいながら壁から背を離し、自分の足で体重を支えるダイス。
 こういう状況の中では、フランクのように見るからに戦力外の存在は、自然と消えてしまうらしい。
 男として悲しくはあるが、それも立派な武器となり得るのならば、そう悲観することでもあるまい。

「いいけど、高くつくよ?」
「フン」

 鼻で苦笑をすると、ダイスは周囲の床に視線を走らせた。
 いくつか拳銃が落ちている中、リボルバー式の物を見つけて拾い上げる。
 彼愛用の、木製グリップのパイソンである。
 そのシリンダーを外しながら、彼はランディに歩み寄った。

「あんた、賭けは好きかい?」
「何・・・?」

 形勢逆転され、ひねくれていたランディは、ダイスの言葉に怪訝そうな顔をした。
 抵抗する手段を失った他の男たちも、戸惑うような顔をする。というか、彼の発言の意図がわからなかった。
 しかし、フランクやレイチェルにはよくわかる。
 またやる気だ。
 ダイスはシリンダーを逆さまにし、入っていた銃弾を床に落とした後、ジャケットの懐から一発の弾丸を取り出し、ランディに見せつけた。

「弾は一発だ。こいつをシャッフルして・・・」

 一発だけ弾を入れたシリンダーを弾くように回転させ、ダイスは手首のスナップで拳銃を返し、シリンダーを納めた。
 カチャッと小気味良い音が聞こえる。
 その銃口をランディの眉間へと向けた。
 一瞬、彼は小さな悲鳴を上げた。
 銃口を向けることには慣れていても、その逆は初めてだったのだ。

「引き金を引く。弾が出ればオレの勝ち、出なければあんたの勝ちだ。どうだ、悪い勝負じゃないだろ?あんたが勝つ確率は6分の5だ」
「・・・オレが勝ったら、てめえはどうするんだ?」
「そいつはあんたが決めろよ。煮るなり、焼くなり・・・好きにしな」
「・・・ウソじゃないだろうな?」
「そうビビるなよ。約束は守る」

 ダイスの言葉は、しかしランディには俄かに信用できなかった。
 それが普通である。
 自分であれば、まずこんな提案自体しない。
 ただ、残された手段がこれしかないことも、状況からして判断できた。
 大男はその身を小さくしつつ、無言のまま頷いた。
 互いに勘繰るようにしばらく睨み合った後、ダイスはゆっくりと口を開いた。

「お祈りは済んだか?」
「ナメてんじゃねえよ」
「よし。・・・それじゃ、勝負だ」

 ダイスは引き金に掛けている指にゆっくりと力を込めた。
 別に焦らすつもりなどない。
 スリルを楽しんでいるのだ。
 無論、結果がどう出るか、彼にはわからない。
 しかし、勝つ自信はあった。
 今までに何度となく、自分でも呆れるくらいの強運が彼にはある。
 望む、望まざるに関わらず、ダイス=アッシュケインには幸運の女神が微笑みかけてくれる。
 時にそれはアイロニックで、嘲笑に見えることもあった。
 だが、それも運命とあらば、上手に付き合ってゆくのが賢明というものである。
 そして、ダイスの視界に微かに女神の姿が見えた時、銃声が響き渡った。
 男たちが驚愕する。
]  その音は、それ自体が勝敗を告げるものであったからだ。
 狙いすましたように6分の1の確率を引き当てたダイスは、一瞬寂しさを漂わせる苦笑をしたのだった。
 彼は前のめりに倒れて動かなくなったランディに溜め息をくれてやりながら、ジャケットの懐から6発の弾丸を取り出した。
 今度は間違いなく全弾充填する。
 これで、手持ちの弾丸はあと5発となった。
 事の顛末を見届けたフランクとレイチェルが、彼の元にやってくる。

「ダイスさん・・・本当に、ごめんなさい。私・・・ひどいことを・・・」

 ロイヤルホテルの件を言っているのだろう。
 ダイスは、今にも泣きそうなのを堪えて、強く目を閉じ、俯きながら平謝りをするレイチェルに優しく言ってやった。

「とんだデートになっちまったな。・・・だが、君が無事でよかったよ」
「・・・ありがとうございます、本当に・・・」

 またしても深く頭を下げるレイチェル。
 ダイスはそれに苦笑をした。
 一方、フランクは先ほど皆に指示を出していた男に、拳銃を突きつけながらも反対の手をそっと彼に差し出していた。
 手錠を掛けられているから、少し窮屈な姿勢である。

「な、何だ、この手は?」
「鍵だよ!」

 大きな声で言われ、セミオートの拳銃ながら、そのハンマーが上げられるのを見ると、男は慌てて胸ポケットから鍵を取り出した。
 フランクはそれを受け取り、ダイスに投げ渡す。
 彼は鎖の切れた、ただうざったいだけの手錠を外した後、当然のようにまずレイチェルの手錠を外してやった。
 ようやく自由になった手の感触を確かめもせずに、怪我をした腕にそっと触れる。
 幸い貫通力の高い弾頭だったらしく、弾丸が体内に残っている違和感はなかった。
 止血のもちろん不可欠であるが。
 そんな風に傷の具合を気にするダイスを見て、レイチェルは更に罰の悪そうな顔をして頭を下げた。

「・・・ごめんなさいっ・・・」
「これくらい、日常茶飯事さ」

 ダイスは素敵な笑みを浮かべならレイチェルに鍵を手渡し、その華奢な肩をポンと叩いた。
 踵を返し、ドアに向かって歩き出す。

「どこに行くのさ?」

 フランクは男たちに拳銃を向けつつ、横目で相棒の背中を見ながら尋ねた。
 その問いに対して、ドアのノブを掴んでから、肩越しにも振り返らずにダイスは答える。

「野暮用だ」
「あ、そう・・・」

 小さく溜め息を漏らし、フランクは部屋を去るダイスの背中を見送った。
 モテる男は、やはり辛いらしい。
 ふと、レイチェルが歩み寄ってきたことにフランクは一瞬戸惑うが、自分の手錠を外そうとしてくれていることに気が付いて、笑顔を見せた。

「ありがと」
「とんでもありません。私の方こそ・・・何とお礼を言ってよいか・・・」

 ダイスがいなくなって緊張が解けたのか、少女は半泣き状態である。
 通常の男性とはまた違って意味で女性の涙が苦手なフランクは、持ち前の底抜けに明るい言動で、その場の空気を意図的に茶化した。

「じゃあ、ちょっとお遊びに付き合ってよ」

 レイチェルに両手を解放してもらうと、自由になった両腕を誇示するように軽く回した後、フランクは男たちから手錠を回収した。
 その後、二人は彼ら全員を、背中を中心に向けた輪になるようにして繋いでやった。
 無論、気絶していた者もその輪の中に入っている。

「これでよし。記念撮影もしたいところだけど・・・」

 真顔でそう言ってから、フランクはソファの近くに横たわるジェラルミンケースを見つけ、歩み寄った。
 これを忘れることのは彼にとってまさに死活問題である。

「よいしょっと。もう忘れ物はないな」

 フランクはしっかりと確認をしてから、妙なことに付き合わされたことで少し戸惑っている様子のレイチェルの肩に手を置いた。

「それじゃ、行こうか」
「おい、待て!鍵は置いていけ!」

 レイチェルの背中を押すようにしてドア付近までやってきたフランクに、後方から声がかかった。
 みんなで仲良しの輪を作っている男たちである。
 フランクは半身を返しながら、彼らに手錠の鍵を見せてやった。

「そんなに欲しい?」
「ああ、頼む」

 男は妙な愛想笑いをする。
 手錠を強引に取る手段はいくらでもあるが、鍵が目の前にあるのに、わざわざ面倒で危険な方法を取ることもない。

「頼まれたんじゃ、仕方がない。ボクだって鬼じゃないからね」

 フランクは天使のような笑顔を浮かべつつ、積極的に発言をした男の前にしゃがみ込んだ。
 ケースを自分の隣に置き、右手で鍵をチラつかせながら、左手を物欲しそうに差し出してみせる。
 一瞬の沈黙の後、男はおそるおそる口を開いた。

「こ、今度は何だ?」
「一個一万ドルってことで、よろしく」

 レイチェルは唖然とするしかなかった。








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