東アジアの食文化

 

 

まず日本の食文化の歴史について書いておきます。

縄文時代では狩猟・漁猟が中心で農耕はまだありませんでした。

しかし弥生時代になると、中国からの稲作の技術の導入により一定の土地に定着する人が増え、稲作中心の食文化となりました。同時に箸を使う習慣が誕生した。(それ以前は手食でした。)

奈良時代は1日2食で、精進料理が発達しました。味噌、醤油、豆腐などです。茶も導入されました。酒も質のよいものができるようになりました。

平安時代になると、四季の美しさと雅の心を取り入れて、唐文化とは異なった平安独自の和風文化が育ち始めました。食も膳の中に四季感を取り入れて視覚に訴え和風文化が育っていきました。刺身も出始めて、この頃1日3食となりました。

鎌倉時代は、玄米に梅干が武士を支える食となりました。

室町時代になると、南蛮船によってさつまいも、じゃがいも、ハクサイ,キャベツ、トマト、にんじん、かぼちゃなど、多くの野菜が日本に持ち込まれるようになりました。

江戸時代には普茶料理という禅僧が茶礼のあといただく料理や、茶懐石という千利休が考えた禅と茶の湯をむすびつけた一汁三菜に強肴を基本とし、酒も楽しんで最後に抹茶をいただくものもありました。量り売り、屋台、居酒屋、料理屋、そばや、茶屋などの外食産業も登場しました。明治になると、なら時代から国家仏教によって禁止されていた肉食が解放され、また洋食文化も広がってきました。

 

次に東アジアの食を食べる手段「箸」について説明します。

東アジアでは、「箸と匙」が古代からセットでした。だが日本では奈良、平安時代で匙を使っただけで、13〜14世紀になると匙がなくなってきました。

日本では隋、唐のファッションを取り入れた古代の貴族が匙をつかっただけで、伝統的に匙を使わない文化になりました。

中国では箸を使うのが生活習慣となっていて、おかゆを食べる時でさえ箸を使います。ただ汁物、炒飯をたべるときには匙をつかいます。

今では朝鮮半島だけが箸と匙を使います。「スジョ」で「箸と匙」という意味になっていて区別されていません。(別々の呼び方では箸はチョッカラ、匙はスッカラというらしいです。)

ちなみに朝鮮半島ではほとんど匙を使ってご飯を食べ、(スープはもちろんご飯も匙で食べる)箸を使うのはおかずを取る時に使うぐらいです。

ほとんど匙ですくって食べるためお椀はもち上げません。

 

日本での箸の歴史はさかのぼること原始時代、原始人が火を使うことにより、熱いものが持てなくなったので、

熱に触れずに食事するための道具として、箸が使われだしたといわれています。

箸は、日本には弥生時代末期に中国、朝鮮半島から「神の器」として神様が使う神器として伝来しました。その当時は今のような2本の棒の様なものではなく、折箸という細長く削った竹を折り曲げてピンセットのようにしたものを使っていたそうです。

しかし、この頃の箸は「神器」であるため神様と天皇にしか使うことは許されなかったらしいです。箸が始めて食事に使われるようになったのは7世紀はじめです。初めて箸を使ったのは聖徳太子といわれています。

聖徳太子は中国(随)に使節を送り、(遣隋使、小野妹子ら)そこで使節団は王朝の人々に歓迎を受けたが、王朝の人たちが箸を使って食事をしているのを見て大変驚いたそうです。日本に戻った使節からこの報告を受けた聖徳太子も驚きました。

そして、今度中国の使節を日本に招待する時のために、大急ぎで箸を使った食事の作法を朝廷の人に習わせたということです。ここから、日本で食事に箸を使う風習が始まりました。これより以前は手食だったのです。

奈良時代からは貴族の間でも使われ始め、その後庶民にも広まり、完全に手食から箸食へとかわりました。このころは折箸ではなく普通の2本1組の箸がつかわれていたようです。素材は竹で、「箸」という漢字が竹かんむりなのもこれによるものです。

江戸時代には塗箸が使われるようになりました。また江戸時代には樽などの余った材料から割り箸が作られるようになりました。

 

最後にアジアの有名な飲み物「お茶」について書きます。

お茶ははじめお茶の葉を漬物にして噛んだりして、飲み物として使うことはありませんでした。

伝説としては神農(農業の神様)が湯を飲もうと思った所にお茶の葉が落ちてきてそれを飲んだのが始まりというものもあります。お茶は初め飲み物としてではなく薬として飲まれていたそうです。

中国文明圏に入って初めて飲み物となり、朝鮮、日本、モンゴル、チベットで飲み物となりました。ヨーロッパにお茶が伝わったのは15世紀で最初にお茶を輸入したのは紅茶で有名なイギリスではなく17世紀にオランダが輸入を開始しました。

その後、フランス、イギリスと続いてヨーロッパにお茶(緑茶などの中国茶)が広まりました。その後ヨーロッパ流にアレンジされた紅茶として広まりました。

日本の歴史について話すと、お茶の起源には中国からわたってきたという「渡来説」と、もともと日本にお茶の樹があったという「自生説」の2つがありますが、渡来説が有力のようです。

日本に喫茶の文化が始まったのは、遣唐使が往来した奈良・平安時代で、最澄や空海らの留学僧の手によって伝えられたとされています。

記録では、廷歴二四年(805)最澄が唐から持ってきて、近江の坂本に植えたとあり、これは今でも日吉茶園として残っているそうです。

また翌年の大同元年(806) 空海が茶を持ってきて長崎にまいたというのもあります。このあとお茶に関する書物はなく次に現れるのは鎌倉時代です。

1191年に栄西禅師によって宋の国から持ち帰られたと言われるお茶の樹の種で、これを明恵上人に茶の種子が贈られ栂尾の深瀬にまいたそれが、今でいう宇治茶の基盤を開いたものです。これが有名な抹茶の始まりだそうです。

栄西はお茶の普及に努め、貴族でしか飲まれていなかったお茶を武家社会にまで広めました。

また栄西がお茶で源頼朝の二日酔いを治したという記述が残っています。その後お茶は禅宗と結びつき茶道と言う独特の文化を作り広まっていきました。

現在のようにお茶が万人に広まったのは江戸時代になってからです。お茶の葉にお湯を直接注いで飲む「庵茶式」が伝わりこの方法が広く日本に定着しました。

 

 

 

 

 

参考サイト        

 

 

 

ってか殆ど参考サイトと同じだろ!ってツッコミは受け付けないw

 

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